信長はなぜ三郎なのか(その4)

☆仮説 その3 風の三郎(3)


もし、織田信長の「三郎」が、弥三郎風の「三郎」と関係するとすれば、『鍛冶屋の母』(谷川健一著 思索社)に興味深い記述がある。

 たとえば、十五世紀の初頭に完成した「三国伝記」には次のような話が掲げられているという。近江国伊吹山に弥三郎というの者が住んでいて、昼は岩屋に住み、夜は遠境に住還し、人家の財宝をうばい、国土を荒らしまわったので、近江国の守護佐々木備中守源頼綱にたいして、弥三郎を退治せよとの勅命が下った。頼綱は数年かかってやっと弥三郎とめぐいあい、凶賊をほろぼすことができた。そののち弥三郎の怨霊は毒蛇と変じて大いに害をなしたので、弥三郎の悪霊を神とあがめて、井明神と名づけた。そこで弥三郎の霊は井の口にまつられ、水神として守護神の役割を果すようになったという話である。これでみれば、弥三郎はのち蛇体となったことが明らかである。


伊吹山の弥三郎は「井の口」にまつられたというのだ。この「井の口」は伊吹山の山頂近くにある。
山頂、弥三郎泉水のいわれ


ところで、岐阜の町の旧名も「井の口」。

 岐阜は織田信長始て名付られしとぞ創業録に曰信長は井ノ口の城手に入けれは澤彦和尚へ使者を以て爰に来り給へ宣ふ澤彦井ノ口に到る信長兼て小侍従と云者に宿を仰付らる信長澤彦に対面せられ井ノ口は城の名悪し名を易給へと澤彦老師岐山岐陽岐阜此内御好次第にしかるべしと信長曰諸人云よき岐阜然るべしと祝語も候哉と澤彦曰周文王起岐山定天下語あり此を以て岐阜と名付候無程天下を知召候はんと信長感悦不斜額の名盆に黄金を積て賜り此盆は豊後の屋形より来る秘蔵有へしと仰せける

岐阜志略(近代デジタルライブラリー)


信長は「井の口」は城の名前が悪いと言い岐阜に改名した。なぜ城の名前が悪いのか?「弥三郎」がまつられた場所と同じ名前だからむしろ良いのではないかとも思うが、封じられたという意味では悪いということなのかもしれないなんて思ったりする。


※なお「弥三郎の怨霊は毒蛇と変じ」たとあるのも多少気になる。稲葉山城主で信長の義父でもある斎藤道三は「まむし」と呼ばれていたから。


(つづく)