信長はなぜ三郎なのか(番外編1)

話は少し脱線するんだけれど「美濃の蝮」こと斎藤道三について。
斎藤道三 - Wikipedia


道三がなぜ「マムシ」と呼ばれるのか俺は知らない。

毒蛇としてのイメージから、クセのある、どちらかといえば凶暴な人物の二つ名とされることも多い。(例:斎藤道三→蝮の道三/美濃の蝮、鳥居耀蔵→蝮の耀蔵など)

ニホンマムシ - Wikipedia

そうなのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。


それはともかく、「美濃の蝮」は息子の斎藤義龍に討たれた。
斎藤義龍 - Wikipedia


義龍は実は道三の子ではなく、土岐頼芸の子だという説がある。

道三の子で、のちに美濃国稲葉山城主となる斎藤義龍の生母深芳野は頼芸の愛妾で、享禄元年(1528年)に頼芸から道三に拝領されている。翌享禄2年(1529年)に義龍が生まれている出生時期や、道三と義龍が義絶していることから、義龍を頼芸実子とする説もあるが、江戸時代の創作であるともいわれている。

土岐頼芸 - Wikipedia


史実ではないにしろ、そういう説があり、それを取るとするならば、
「美濃の蝮は土岐氏の義龍によって討たれた」
ということになる。


ところで、美濃土岐氏の祖は源頼光
土岐氏 - Wikipedia


源頼光といえば、大江山酒呑童子退治
⇒源頼光 - Wikipedia


酒呑童子の出自は、

酒呑童子は、一説では越後国の蒲原郡中村で誕生したと伝えられているが、伊吹山の麓で、『日本書紀』などで有名な伝説の大蛇、八岐大蛇が、スサノオとの戦いに敗れ、出雲国から近江へと逃げ、そこで富豪の娘との間で子を作ったといわれ、その子供が酒呑童子という説もある。その証拠に、父子ともども無類の酒好きであることが挙げられる。

他にも、奈良県の白毫寺で夜な夜な人を襲って食べていた稚児が後の酒呑童子だとする説もある[1]。

酒呑童子 - Wikipedia


酒呑童子ヤマタノオロチの子孫だという説がある。ということは酒呑童子も蛇の属性を持っているということになる。というわけで、土岐氏の(斎藤)義龍は、土岐氏の祖である源頼光と重なっているのであった。


ちなみにこの伝説の詳細はというと、
ヤマタノオロチ - 幻想動物の事典suppl.
に書いてある。


一説によると、酒呑童子(伊吹童子)は伊吹の弥三郎と大野木殿の娘との間に出来た子。
佐竹昭広氏は「野木(ノギ)」は「蛇」であり「大野木=大蛇」と解しうるとしている。「ナガ・ナギ・ナーガ」と同義)


あるいは、伊吹大明神(ヤマタノオロチ)と近江の国井口須川殿の娘「玉姫」との間に出来た子。