信長はなぜ三郎なのか(番外編2)

前にも引用したが、『鍛冶屋の母』(谷川健一著 思索社)から。

 たとえば、十五世紀の初頭に完成した「三国伝記」には次のような話が掲げられているという。近江国伊吹山に弥三郎というの者が住んでいて、昼は岩屋に住み、夜は遠境に住還し、人家の財宝をうばい、国土を荒らしまわったので、近江国の守護佐々木備中守源頼綱にたいして、弥三郎を退治せよとの勅命が下った。頼綱は数年かかってやっと弥三郎とめぐいあい、凶賊をほろぼすことができた。そののち弥三郎の怨霊は毒蛇と変じて大いに害をなしたので、弥三郎の悪霊を神とあがめて、井明神と名づけた。そこで弥三郎の霊は井の口にまつられ、水神として守護神の役割を果すようになったという話である。これでみれば、弥三郎はのち蛇体となったことが明らかである。

吾妻鏡建仁元年(1201)五月の記事に、前年に逃亡した近江国柏原庄の住人「柏原弥三郎」が佐々木信綱に討たれたという話がある。
吾妻鏡入門第三巻


「柏原弥三郎」は実在した人物らしい。それについて佐竹昭広氏は「里人は水が渇れれば弥三郎の怨霊のしわざとして恐れ、大風が吹けば弥三郎のたたりを信じて疑わなかった」として、「弥三郎風」は、柏原弥三郎の所業が伝説化されたものと捉えているが、谷川健一氏は異を唱えている(『鍛冶屋の母』)。

 佐竹氏は、「吾妻鏡」に登場する実在の人物である柏原弥三郎を、弥三郎風の名称の起りと考えている。私はそこに疑問を呈せざるを得ない。まず最初に、伊吹山に鉄人伝説があり、その鉄人はきわめて乱暴者であったので、その泣き所を狙って殺されたのであるが、伊吹山の強風は、鉄人の荒々しさの象徴のようにも見えたのであったろう。その鉄人を、いつの頃からか伊吹の弥三郎と呼ぶようになった。
 ではなぜ、その鉄人に弥三郎の名前がつけられたかといえば、一つは佐竹氏の主張するように、史実の柏原弥三郎の名が影を落しているとみることができる。しかし、他の解釈もできないわけではない。弥三郎とか弥五郎という名前は、信仰に関連のある名前と解せられるからである。

俺もそのように感じる。さらに言えば、個人的には「柏原弥三郎」という名乗りもまた、その前に「三郎」=乱暴者(侍・エビス・大風・蛇)という結び付きがあったのかもしれないと思う。



あと、面白いのは、柏原弥三郎は、
吾妻鏡入門第三巻
によると「清和源氏で頼光の弟頼平の系統」なのだそうだ。


あと、伝説上の弥三郎は佐々木頼綱に退治されたのだが、史実の柏原弥三郎は佐々木信綱に討たれている。これについて、佐竹昭広氏は「頼綱」が、源頼光と同じ「らいこう」という音になるからではないかと推察している。
Syuten Dozi


実に面白い。しかし面白いことはまだある。


酒呑童子異聞 (同時代ライブラリー)

酒呑童子異聞 (同時代ライブラリー)

(つづく)