信長はなぜ三郎なのか(その3)

☆仮説 その3 風の三郎(2)


桶狭間合戦の『信長公記』の記述、

山際迄御人数寄せられ候の処、俄に急雨石水を打つ様に、敵の輔に打付くる。身方は後の方に振りかゝる。沓懸の到下の松の木に、ニかい・三かゐの楠の木、雨に東へ降倒るゝ。余りの事に熱田大明神の神軍かと申候なり。

(『信長公記』奥野高広・岩沢愿彦校注 角川ソフィア文庫

「豪雨」だったことがわかるが、楠木が倒れる「豪雨」というのは「強風」を伴うものだったのだろうと俺は考える。この時「神風」が吹いたのだ。それは「弥三郎風」と呼ばれるものではなかっただろうか?

 柳田国男が『桃太郎の誕生』で紹介している越後の伝承によれば、弥三郎という男の母を喰って「弥三郎婆」に化けた鬼婆は、

  「俄に西の空が大荒れして黒い雲が蔽ひかかり、其雲の中から大きな手を出して」

弥三郎に襲いかかってきたというから、この「弥三郎婆」も風の妖怪だったとみてよい。

風の妖怪−カマイタチ・一目連・風の三郎−(三浦佑之)


「俄に西の空が大荒れして」という描写は、桶狭間における「神風」と共通しているようにみえる。


「三郎」と呼ばれる織田信長は、風の属性を持っていると考えられていたのではないかと妄想してしまうのであった。


(つづく)