☆仮説 その1 「侍」
「三郎」はかなで書けば「さぶらう」。「侍」の語源も「さぶらう」。
「さぶらう」から三郎。
☆仮説 その2 「夷三郎」
また、えびすのことを夷三郎と呼ぶのは、『日本書紀』において3番目に生まれたことに由来するとされる。
とあるが、「ヒルコ」は『古事記』において最初に生れ、しかも子の数に入れられていない。『日本書紀』の一書(第二)に、「日と月の次にヒルコが生れた」とある。三郎と呼ばれるのは別の理由があったのかもしれない。
「えびす」を称する神は複数あって、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。
「えびす」は「事代主神」。
是等主従六騎、あつた迄三里一時にかけさせられ、辰剋に源大夫殿宮のまへより東を御覧じ侯へば、鷲津・丸根落去と覚しくて、煙上り侯。
(『信長公記』角川ソフィア文庫)
『信長公記』桶狭間合戦の時の記述。「源大夫殿宮」とは、上知我麻神社(かみちかまのやしろ)のこと。
上知我麻神社の両脇に、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)がお祀りされております。毎年1月5日はこの両社の祭「初えびす」があり、商売繁盛・家内安全を願う人々で盛大なにぎわいを見せ、正月の風物詩として知られております。
⇒上知我麻神社 | 初えびす 七五三 お宮参り お祓い 名古屋 | 熱田神宮
また、wikipediaに、
蝦夷(えぞ、えみし)の別称。未開の民や東国の武士をさし、または外国人の蔑称。
とあるから「三郎=侍」とも関わりがなくもない。
また、えびすは「福神」でもある。これについてはまた後で。
(つづく)