与那国島の始祖伝説

昨日の続き。


さらに検索していて見つけた記事。
石垣島 検島誌.com--伝説と民話--太陽所(てぃだんどぅぐる)--

大昔、陸地を求めて遠い南の島から船を漕いでいる男がいました。
男は大海原の中で「どに」(大海原が盛り上がった小さな陸地)を発見し、大変喜びました。
しかし、そこは草も木もありません。

男は人間が住めるかどうかを確かめるために、弓矢でヤドカリを放ち、南の島へ帰りました。

何年たち、男は「どに」にやってきました。
ヤドカリは見事に繁殖していたので、家族を連れて「どに」に住み着きました。

こちらにも同様の話が。
昔ばなし。「てぃだん どぅぐる」 - どぅなんちま うにびゆぅ (与那国島だからよぉ〜) - Yahoo!ブログ


この与那国島の伝説の方が、より「ノアの箱舟」神話に近い。しかし、ますますヤドカリが人間の起源だという話からは離れていく。どういうこと?


それを考える上でヒントになりそうなのが、
アマン: 与論島クオリア
という記事。ここに吉本隆明の『共同幻想論』という本からの引用があって、そこに、

 小原一夫の論文「南島の入墨(針突)に就て」は、わが南島では島ごとに女たちのいれずみの文様と個処がちがっており、その観念は「夫欲しさも一といき刀自欲しさも一といき彩入墨欲しさは命かぎり」という歌にあるように、宗教的ともいえる永続観念にもとづいているとのべている。そして、奄美大島で魚の型をしたいれずみをした老婆たちに、なぜ魚の型をいれずみしたかときくと「魚がよく取れるように」と一人がこたえ、他のものはわからぬとこたえたとのべている。また、沖永良部島で左手の模様を「アマム」とよび「ヤドカリ」をシソポライズした動物紋で、島の女たちは質問にこたえて、先祖は「アマム」から生れてきたものであるから、その子孫であるじぷんたちも「アマム」の模様をいれずみしたのだとこたえたと記している。

とある。


沖永良部島では『先祖は「アマム」から生れてきたもの』という認識があったようなのだ。昨日も書いたけれど、こっちの方が詳しい。


これらを総合して考えれば、問題は「アマム」(アマン)がヤドカリのことなのかということになるだろう。もちろんヤドカリがアマンと呼ばれるのは神話と関係があるのは間違いないだろうけれど、「アマムから生れた」という場合のアマム(アマン)はおそらくヤドカリのことではないだろうと思う。


俺の無責任な推理では、「アマ」には「海のかなた」あるいは日本語で「天」のことをアマということから考えて単純に「遠方」というような意味があって、そこから来たと考えられた人や動物などを「アマン」と呼んだのではないかという気がする。あくまで推理だけど。