⇒読売新聞 3月1日付 編集手帳 : 3月1日付 - finalventの日記
⇒3月1日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
琉球諸島にはヤドカリを人間の起源とみなす神話があるという。昔の世を「アマン(=ヤドカリ)ユー」すなわち「ヤドカリの世」と見た。ヤドカリが阿檀(あだん)という木の実を食べて人間に生まれ変わった、と◆榎本好宏さんの『季語語源成り立ち辞典』(平凡社)に教わった知識だが、天災に接するたびにこの神話が胸をよぎる。
この榎本好宏さんの話だが嘘だとも思えないし、そういえばとあたってみると、「琉球民俗の底流」(参照)にもある。ただし、八重山と奄美で本島の伝説ではないようだ。
早速検索してみよう。
⇒花物語 in てぃんくの家
昔、太陽があまん神(奄美、沖縄の創世神話ではアマミキヨ)がに命じて天の下に島をつくらせました。その山が現在の八重山石垣島です。
この島にはアダンの木が茂り、実がなっていました。それからしばらく経ってから、あまん神はアダンの木の茂る穴の中でヤドカリをつくりました。ヤドカリはアダンの香りのよい実を食べて生活するようになりました。太陽は、ヤドカリだけでは淋しいと思い、人の種を天の下に下ろしました。すると、ヤドカリが出てきた穴から美しい男女の若者が現れ、赤く熟れているアダンの実を食べました。アダンの木は二人の若者にとって命の木となりました。
⇒大昔、太陽加那志(ティダンガナシ)の命で…【八重山毎日新聞オンライン】石垣島・竹富島・黒島・西表島・小浜島・波照間島・与那国島などのローカルニュース
大昔、太陽加那志(ティダンガナシ)の命でアマン神は石垣島を創った。当初島には生き物がいなかったが、その後アダン林の穴にヤドカリを造った。すると「カブリー」と叫んではい出し、アダンの実を食べて島中に繁殖した▼しばらくして、同じ穴からまた「カブリー」と叫んで若い男女が現れ、赤く熟れたアダンの実を食べた。アダンは生命の木になった―。これは石垣島白保に伝わる八重山の創世伝説。
そこで太陽加那志はアダンの根元に穴をほって、その中でヤドカリをつくりました。
ヤドカリはアダンの実をたべて育ち、島中に増えていきました。これでこの島に生き物が住めることがわかりました。つぎに太陽加那志は人種(ひとだね)というものを地上におろしました。人種を最初にヤドカリが出てきた穴に入れてやると、中から輝くように美しい男女の人間があらわれました。
これらを読む限りでは、「ヤドカリが人間になった」というよりも、神は最初にヤドカリを地上に造り(下ろし)、次に人類を地上に下ろしたというように見える。
そして、この話はあの話に似ている。
ちょうど今『ノアの大洪水』(金子史朗 講談社現代新書)を読んでいるところなのだが、よく知られているように、ノアは最初にカラスを放ったが戻ってきた。次に鳩を放ち、3度目に鳩は戻ってこなかった。それで水が引いたことを知り、地上に降りて、彼の一家はその後の人類の始祖となったのである。同じ話は「ギルガメシュ叙事詩」にもあり、やはり鳩を放す。
さらにアメリカの原住民の神話には、大洪水のとき、筏または舟に動物たちと乗った彼等は、動物を水の底にもぐらせて様子をうかがわせるというものがある。
- 作者: 金子史朗
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こうしてみると、琉球の伝説もヤドカリを人間の起源としたものではないと思う。
ただし、
また、沖縄県内や奄美地方で、約100年前まで女性の手に施されていた入墨には、アマンと呼ばれる文様があった。それは奄美群島、久米島、宮古島、多良間島の女性の左手首(ちょうど骨が丸く出たところ)にあり、沖永良部島では「我々はアマムの子孫であるから」と伝えられていた。ヤドカリを先祖とする点で、八重山の伝説と共通する。
⇒八重山カタログ「アマン(オカヤドカリ)」|八重山コラムちゃんぷる〜 - 石垣島発八重山ポータル やいまねっと
とあるように、八重山の伝説を、ヤドカリが人間の起源と解釈する人もいるようだし、沖永良部島では昔からそう解釈されていたようだ。でも、おそらくそれは、最初からそうだったのではなく、後にそうなったのだろうと思う。