言霊とは何か

先日、俺は言霊について良くわかってないと書いた。俺は「言霊」というと井沢元彦をすぐに連想してしまうんだけれど、今となっては氏の言うことはあてにならないと思っているので、改めて調べてみなければならない。


後で図書館で調べてみようとは思っているんだけれど、まずネットで調べてみて参考になりそうな記事。


國學院デジタルミュージアム

それは国や土地の安寧を守護する、スメ神と呼ばれる神が巫祝に憑依して発せられる言語活動であると思われる。そうした国家守護のスメ神の祝福の言葉が言霊であり、一般の人間の言葉に言霊が存在するものではない。それゆえ恋歌においても言霊が活動するのは、「八十の衢」という四方八達の特別な交通路であったのである。この交通路においても人々の発する言葉がスメ神の言霊として捉えられ、それが占いをする者には神の意志として受け取られたのである。折口信夫「呪言と叙事詩と」新『折口信夫全集 1』(中央公論社)、「言霊信仰」新『折口信夫全集 19』(同上)。


一般の人間の言葉に言霊が存在するものではない


こっちにも注目。
文学のなかの言霊

言霊は、日本語の全体でなく "特殊な言語"に宿ると信じられており、
祭式の時に神々に対して使われる言葉がそれではないかと思われる。

また、祭式などの特殊な場で言挙げされればどんな言葉も呪力を発したのではなく、
ある定型的な様式に選び取られて言挙げすることが、
言霊が成り立つために必要だったのではないか。


あと、青空文庫より、
折口信夫 古代人の思考の基礎

天皇は、天つ神の御言を、此土地にもつて来られたお方である。昔は、言葉によつて、物事が変化する、と言ふ言霊(コトダマ)の信仰をもつてゐた。言霊は単語、又は一音にあるやうに、古く神道家は解いてゐたが、文章或は、その固定した句に於て、はじめてある事実である。文章に、霊妙不可思議な力がある、と言ふ意味からして、其が作用すると考へ、更に、神の言葉に力があるとし、今度は語の中に威力が内在してゐる、と考へた。其を言霊と言ひ、其威力の発揚することを、言霊のさきはふ(又は、さちはふ)と言うた。


折口信夫 神道に現れた民族論理

我が国には古く、言霊(コトダマ)の信仰があるが、従来の解釈の様に、断篇的の言葉に言霊が存在する、と見るのは後世的であつて、古くは、言霊を以て、呪詞の中に潜在する精霊である、と解したのである。併し、それとても、太古からあつた信仰ではない。それよりも前に、祝詞には、其言葉を最初に発した、神の力が宿つてゐて、其言葉を唱へる人は、直ちに其神に成る、といふ信仰のあつた為に、祝詞が神聖視されたのである。そして後世には、其事が忘れられて了うた為に、祝詞には言霊が潜在する、と思ふに至つたのである。だから、言霊と言ふ語の解釈も、比較的に、新しい時代の用語例に、あてはまるに過ぎないものだ、と云はねばならぬ。世間、学者の説く所は、先の先があるもので、かう言ふ信仰行事が、演劇・舞踊・声楽化して出来たのが、日本演芸である。だから日本の芸術には、極端に昔を残してゐる。徳川時代になつても、その改められた所は、ほんの局部に過ぎない。そして注意して見ると、到る所に、祝詞の信仰が澱み残つてゐる。

ところで、以上を見た上で気になるのは言霊と「忌み言葉」の関係。

忌み言葉(いみことば)とは、それを口にすることを良しとしない言葉。あるいは、それを言い換えた言葉。

忌み言葉 - Wikipedia

受験生に対して「落ちる」とか「滑る」とか言わないとかいうやつ(逆にタコのマスコットで「オクトパス→置くとパス」みたいなのが縁起担ぎもある)。



ウィキペディアには、

声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

言霊 - Wikipedia

ある言葉について、その音と同一、または類似する別の語の意味をそこから聞き取り、それにこだわること。駄洒落の一種ではあるが、言葉の音そのものに意味があるとする言霊(ことだま)の思想が伺える。

語呂合わせ - Wikipedia

言霊の思想」と書いてあるけれど、信用できるものなのかどうか。


「言霊 忌み言葉」で検索すれば、それについて言及されているものはたくさんあるけれど、ソースが学術書によるものなのか俗書によるものなのか不明。



それから、ふと思い出したのが、元に戻って井沢元彦、というか元は梅原猛なんだが、大国主が怨霊だって説で、その論拠として出雲大社では拍手を四回うつということを挙げていて、

 では忌詞の最たるものは何かと言えば、それは「死」である。言霊は、その言葉を発声することによって「動きだす」。だから、「シ」という言葉は普通の考え方から言えば絶対に避けなければならない。
 それなのに、どうして「四拍手」なのか。「四」は「シ」であり「死」に通じる。縁起の悪いことこのうえもない。
(『逆説の日本史』(一)小学館文庫)

などと主張しているんだけれど、それについては坂本太郎が、「逆説」の井沢説よりも前に否定している。

遣唐使が四船で組織されたことなどは、 死の恐怖にもっとも敏感な人の間でも四の数が決して忌まれていなかったよい証拠になろう。

古代における『死』と『四』


数字の「四」がいつから忌み言葉になったのか、前から気になっているのだがいまだにわからない。

(追記)
平安時代からだそうだ。
四の字 - Wikipedia