忌み言葉

忌み言葉は言霊の思想に基づくものなのかという疑問について前に書いた。


折口信夫による「忌み言葉」の説明。
折口信夫 国語と民俗学(青空文庫)

つまり、忌み言葉と言ふもの、隠し言葉、隠語です。言うてはいけない言葉と言ふと、語弊がありますが、かう言ふ風に言へば言つても構はない、と言ふ言葉です。つまり、物忌みの条件に適ふ言葉と言ふことでせう。宮廷や貴族に仕へてゐる女房、女官などゝ言ふ者は、皆もと/\神様に仕へてゐた者なのですから、さう言ふことを忘れて後も、全体の気分として、さうしてゐた気分が残つてゐます。生活全体のかげとして、神様に仕へてゐた時の、習慣が残つてゐるものなのですから、忌み言葉などゝ言ふ因習が、やはり守られてゐる。だから、言うたらいけない言葉があります。

つまり、神様に接する時には清浄でなければならない。だから「穢れた言葉」を使ってはいけないってことなんじゃないかと思う。


だとすれば、例えば数字の「四」が忌避されるのは、それが「死」に通じるので「けがれる」ってことではないだろうか。だとすれば「言霊」の思想とはちょっと違うような気がする。


よくわからんけど。



あと、ふと思ったのは「道鏡事件」。

清麻呂の報告を聞いた天皇は怒り、清麻呂因幡員外介にいったん左遷の上、さらに別部穢麻呂(わけべのけがれまろ)と改名させて大隅国(現在の鹿児島県)に配流とした。

和気清麻呂 - Wikipedia


和気清麻呂宇佐八幡宮神託事件の時に「別部穢麻呂」と改名させたのは何故?って前々から思ってたんだけれど、多分それは、穢れた名前にすることで、神に仕えることができないという罰を与えたってことなんでしょうかね。