かぐや姫の罪とは何か?

かぐや姫が地上に来たのは罪を犯したからだというのはトリビア的に語られて割と知られている話。

ここで、『かぐや姫の物語』のキャッチコピー「姫の犯した罪と罰」という言葉を思い返してみましょう。ここで書かれる罪と罰は、原作『竹取物語』では、姫は犯した罪を償うために地上に降ろされたと書かれていることからとられていると言われています。高畑勲監督も、そのかぐや姫の罪についての回答も込めたと発言しています。その回答は『かぐや姫の物語』内で、「虫や鳥や動物たちのように生きること」に憧れたせいだと語られています。これは生命の営みそのもののことであり、現代の感覚では罪に問われるようなことではありません。ふさわしい言葉を探すなら、それは「原罪」とでもいうべきものでしょう。

『かぐや姫の物語』考察。「姫の犯した罪と罰」とは何か(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース
映画の解釈はそうなのだろうが、実際のところは何だったのだろう?


原文にはこうある。

かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤(いや)しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。

竹取物語〜現代語訳


さて、ここで重要な点は
かぐや姫はいつどこで罪を犯したのか?」
ということだと俺は思う。それは原文に書いてないから考察するしかない。


それに関してネットを探したら
『竹取物語』 研究− かぐや姫の罪と罰をめぐって− 岡崎祥子(注:PDF)
という論文があった。そこには冒頭に

かぐや姫が月の世界で犯した「罪」は何か、

と書いてある。「月の世界で犯した」とする根拠の説明はない。説明するまでもなく当然のことだと考えているのだろう。


しかし、それには重大な問題点がある。


竹の中にいたかぐや姫は幼子だという点だ。

それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり

これだと、単に「小さい人」ということになるけれど、

この児(ちご)、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。

とあるからには、やはり「幼子」としなければなるまい。


その幼子が月で罪を犯したというのはおかしくないだろうか


もっとも、「鶴の恩返し」の鶴が人間の女性の姿で現れたように、かぐや姫も幼子の姿をして翁の前に出現したのであって本来の姿ではないという考え方は可能かもしれない。


それはそうだが、原文にそういった説明は一切無いのであって、別の可能性を探ってみることは意義のあることだろうと思う。


(つづく)