天孫降臨神話の真実(その7)

天孫降臨神話の真実(その6)のつづき


旧約聖書』「創世記」から、大洪水の後にノアとその家族が山上から降りる箇所の記述

四十日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、からすを放ったところ、からすは地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへ飛びまわった。ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。さらに七日待ってまた、はとを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。
六百一歳の一月一日になって、地の上の水はかれた。ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると、土のおもては、かわいていた。二月二十七日になって、地は全くかわいた。この時、神はノアに言われた、「あなたは妻と、子らと、子らの妻たちと共に箱舟を出なさい。あなたは、共にいる肉なるすべての生き物、すなわち鳥と家畜と、地のすべての這うものとを連れて出て、これらのものが地に群がり、地の上にふえ広がるようにしなさい」。ノアは共にいた子らと、妻と、子らの妻たちとを連れて出た。

創世記(口語訳) - Wikisourceを編集した)


長々と引用したが、ここで重要なのは、ノアが地上の様子を確かめるために鳥を遣わしたというところだ。


ギルガメシュ叙事詩

ウトナピシュティムはまず鳩をはなした。鳩は休み場所が見あたらずにもどってきた。つぎは燕をはなしたが同じ結果になった。そのつぎには大烏をはなしたところ、水がひいていたので餌をあさりまわって帰ってこなかった。そこで彼は山頂に神酒をそそぎ、神々に犠牲をささげた。

ノアの方舟 - Wikipedia
と鳥を飛ばしている。


洪水の後で人が地上に降りる前に動物を放つというのは、世界の洪水伝説によくある話で、アメリカ原住民の神話にも類似した話がある。


それを頭に入れた上で『日本書紀』を見てみる。
※ 今まで一書(第一)を使用してきたので今回もそこから。


1.アマテラスは天稚彦(あめのわかひこ)を豊葦原中国を平定させるために遣わしたが8年たっても帰ってこなかった。
2.次に雉を遣わして天稚彦が復命しない理由を尋ねさせた。
3.天稚彦は弓で雉を射て、矢は雉の胸を射抜いて天上まで届いた。
4.天神は天稚彦が悪心を持っているのなら天稚彦に当って災難に遭うだろう、清い心なら無事だろうと言って矢を投げ返した。
5.矢は天稚彦の胸に当り死んだ。
(中略)
6.アメノオシホミミ(アマテラスの子)は天浮橋に立って地上を見て、まだ平定されていないといって天降りせずに天に戻った。
7.アマテラスはタケミカツチとフツヌシを平定のために遣わした。
8.タケミカツチとフツヌシは出雲に降り、オオアナムチに汝は国を天神に奉るかと聞いた。
9.オオアナムチは子のコトシロヌシに聞いてから答えるとして、使者を遣わした後に、天神に奉ると答えた。
10.タケミカツチとフツヌシは天に昇り葦原中国が平定されたことを報告した。
11.アマテラスは皇孫ニニギを天降らせることにした。
(以下略)


このように、天孫降臨神話でも皇孫ニニギが天降る前にアマテラスが神々を地上に降らせている。そして「創世記」でカラスが行ったきり飛び回って帰ってこなかったように天稚彦も帰ってこなかった。1羽目のハトが足の裏をとどめる所が見つからなかったので帰ってきたようにアメノオシホミミは帰ってきたのである。さらに言えば2羽目のハトがオリーブの若葉をくわえていたというのは、雉の胸を貫いて矢が天上に届いたことと対応しているのかもしれない。それに何より雉つまり鳥を遣わしたということにも注目しないわけにはいかない。


ここまで似ていて関係ないという方が無理があるように俺には思えるが、そうした話を見たことがない(似てるけれど違うといった話すら知らない)のはどうしたことだろうか?どっちも超有名な神話だから気付かないなんてことはないように思えるので不思議でしょうがない。俺の無知のせいではないかと思ったりもするけれど、しかし、いくらなんでも一度や二度はそれに言及した説を目にしてもいいはずだから、あったとしても超マイナーなのではないかとも思う。
(一応「天孫降臨 ノアの方舟」で検索してみけれど予想通りというか何と言うか…)


ところで、これは以前にも書いたことだが、沖縄地方の伝説に以下のようなものがある。

  沖縄の民話「八重山の始まり」。

 昔、太陽があまん神(奄美、沖縄の創世神話ではアマミキヨ)がに命じて天の下に島をつくらせました。その山が現在の八重山石垣島です。
 この島にはアダンの木が茂り、実がなっていました。それからしばらく経ってから、あまん神はアダンの木の茂る穴の中でヤドカリをつくりました。ヤドカリはアダンの香りのよい実を食べて生活するようになりました。太陽は、ヤドカリだけでは淋しいと思い、人の種を天の下に下ろしました。すると、ヤドカリが出てきた穴から美しい男女の若者が現れ、赤く熟れているアダンの実を食べました。アダンの木は二人の若者にとって命の木となりました。
 太陽は二人を池の端に立たせ、お互いに反対の方向に池の端を回るように言いました。二人がそのようにすると、やがて二人はぶつかり、抱き合って夫婦の約束をしました。やがて3人の男の子と2人の女の子が生まれ、年とともに八重山の人口は増えていきました。
 八重山の豊年祭の時にはアダンの実を供える習わしが残っているそうです。


 沖縄の民話「アダンを呪う話」。
 (仲井真元楷編著「沖縄民話集」(社会思想社)より引用)

花物語 in てぃんくの家より孫引き。


これは「洪水伝説」ではないけれど、やはり天から人が降りてくる前に動物(ヤドカリ)を地上に降ろしている。


また、

太陽所(てぃだんどぅぐる) 

大昔、陸地を求めて遠い南の島から船を漕いでいる男がいました。
男は大海原の中で「どに」(大海原が盛り上がった小さな陸地)を発見し、大変喜びました。
しかし、そこは草も木もありません。

男は人間が住めるかどうかを確かめるために、弓矢でヤドカリを放ち、南の島へ帰りました。

何年たち、男は「どに」にやってきました。
ヤドカリは見事に繁殖していたので、家族を連れて「どに」に住み着きました。

そのうちだんだんと人の数も増えてきたので、人々は「どに」を大きくしてほしいとお願いし、神様は「どに」を大きくしてくれました。次に草木が生えるようお願いし、神様は緑豊かな島にしました。

石垣島 検島誌.com--伝説と民話--太陽所(てぃだんどぅぐる)--


という伝説もある。これも「洪水伝説」ではないけれど、「洪水伝説」の類話と考えて間違いないだろう


(つづく)