⇒天孫降臨神話の真実(その9)のつづき
何度でも繰り返すが「イザナギ・イザナミ神話」と「天孫降臨神話」は別の神話が一つになったものではなくて「創世記型」の一貫した神話である。
だが「イザナギ・イザナミ神話」と「天孫降臨神話」の間にある「天岩屋神話」(招日神話)は「創世記」に無い。一方スサノヲの貴種流離譚においても「天岩屋神話」は必要ない。高天原で暴れて追放されたとすればいいだけだし、そもそも父母によって追放された身だから二重に必要ないのだ。
「天岩戸神話」の存在意義は何か?
それは記紀神話を見ているだけではわからない。これも「創世記」と比較してみる必要がある。
「創世記」にあって「記紀神話」に無いものは何か?
それは「大洪水」だ。
「天孫降臨神話」は「ノアの方舟」の洪水伝説に類似しているが肝心の大洪水がない。その代りにあるのが「天岩戸伝説」だ。
「創世記」の洪水の描写はどうなっているか。
こうして七日の後、洪水が地に起った。それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。
洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮べたので、箱舟は地から高く上がった。また水がみなぎり、地に増したので、箱舟は水のおもてに漂った。水はまた、ますます地にみなぎり、天の下の高い山々は皆おおわれた。水はその上、さらに十五キュビトみなぎって、山々は全くおおわれた。地の上に動くすべて肉なるものは、鳥も家畜も獣も、地に群がるすべての這うものも、すべての人もみな滅びた。すなわち鼻に命の息のあるすべてのもの、陸にいたすべてのものは死んだ。地のおもてにいたすべての生き物は、人も家畜も、這うものも、空の鳥もみな地からぬぐい去られて、ただノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日のあいだ地上にみなぎった。
大洪水は雨が40日間降り続けたために起きたものだ。その間、太陽は見えなかったに違いない。
「『シュメルの洪水神話』(粘土板)における記述」より
同時に、大洪水が聖域を洗い流した。七日と七夜、大洪水が国中を洗い流し、大舟は嵐のために大波の上でもてあそばれた。そののち、ウトゥ(太陽神)があらわれ、天と地を照らした。ジウスドラは大舟の窓をひらいた。英雄ウトゥは光を大舟のなかにさしこませた。王ジウスドラはウトゥの前にひれ伏した。
ここにはっきりと「そののち、ウトゥ(太陽神)があらわれ、天と地を照らした」とあり、大洪水の際に太陽が見えなかったことがわかる。
なお、『ギルガメシュ叙事詩』で、ウトナピシュティムに神々が大洪水の計画をしていることを知らせ舟を造ることを命じたのは「エア」だが、雨の降る時を教え舟に入っていることを指示したのは「太陽神シャマシュ」である。
一方、ノアやウトナピシュティムなどの生存者は大洪水の間(すなわち太陽が隠れていた間)どうしていたかというと、方舟という密閉された空間に閉じこもっていたのである。
「洪水神話」の「太陽が隠れる」と「密閉された空間に閉じこもる」という二つの要素は「天岩戸神話」と共通している。さらに言えばスサノオは「荒ぶる神」であり、『古事記』等によればイザナギが鼻を洗った時に成り出でた神であるから、「風神」の属性があり、洪水伝説の「嵐」に対応していると考えられる。
どちらも世界的に流布している「洪水伝説」と「招日伝説」という二つの伝説の関わりはわからない(おそらく関係無いと思うが関係する可能性もなくはない)。しかし「天岩戸伝説」に限ってみれば、洪水伝説と関係があるとみて間違いないだろう。
よって、「イザナギ・イザナミ神話」と「天孫降臨神話」の間には本来「洪水神話」が存在した形跡があり、それが「招日神話」によって上書きされたのではないかと俺は考えるのである。
(つづく)