『太閤素性記』の類話(その8)

『太閤素性記』の類話(その7)の続き。


藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社)より。

石井氏は、秀吉の親類縁者には、表のように遍歴を繰り返す商人や職人が多かったこと、青年時代には彼自身も針の行商をしながら今川氏への奉公をめざしたことに着目した。さらには、京都において針商売を営んだ人々が被差別民と関係するという網野善彦氏の示唆を受け、石井氏は秀吉の出自を賤民的な非農業民に求めている。

石井氏というのは石井進氏のこと。このうち「秀吉の親類縁者」については『朝日物語』による。「針の行商をしながら今川氏への奉公をめざしたこと」は『太閤素性記』による。しかし、『太閤素性記』は伝説的要素に満ち満ちている。


太閤素性記』の類話(その5)で紹介したが、「絵姿女房」の夫は物売りの姿だった。「炭焼藤太伝説」で藤太は炭を売るために市場に行っていた。


それを考えれば、針の行商というのも「物売り」である必要から生じた可能性がある。


また、「京都において針商売を営んだ人々が被差別民と関係する」というのは重要な指摘だが、それは物語を理解する上での重要な指摘であって、実際の秀吉が「賤民的な非農業民」だったとは限らないのだ。


「シンデレラ・灰坊」あるいは「かえるの王様」の物語の最も重要な部分は、異形の者が、清らかで立派な人物に変身するということだ。


これも歴史家によくあることだけれど、ある人物の伝記が、実際よりも良く描かれているようにみえる時はこれを疑う。ところが逆に悪く描かれているようにみえると、いとも簡単に「信用できる」としてしまう傾向にあるように思われる。

※「悪人」とされている人物が悪くかかれているときは、「貶められたのだ」という陰謀論を多用するけれど。


しかし、主人公が立派な人物であることを強調するためには、異形の時の姿もまた強調される必要があるのだ


※実のところ、これは現在でも普通に行われていることだ。たとえば宣伝で「使用前・使用後」の写真が使われていることは良くある。「使用後」の写真が実際よりも写りが良いというのは誰でも思いつくことだ。しかし「使用前」だって実際よりも悪く写っている可能性があるのに、それに気付かずに「自分は騙されていない」と思っていたら「おめでたい」。