前例主義

昔漫画喫茶で読んだ横山光輝の『史記』だったか『三国志』だったか良くは覚えてないんだけれど、そこにあった話。


どこかの国の王が敵を攻める作戦を考え付いて、でもそれは「義に反するのではないか」みたいに憂えていると、軍師が出てきて「かつてどこそこの国の何王はかくかくしかじかのことをしたといいます。これは決して義に反することではありません」みたいな助言をして「そうか、ならば問題ない」と作戦を実行するというような話。一度だけじゃなく何度もそういう場面があったと思う。


誰もやったことがないことは躊躇するけれど、誰かがやったことがあるのなら問題ない。過去を探せば何かしら似たような事例があるはずだ。でも、それが「義に反する」という話もあるに違いない。そういうのは無視する。


これが「前例主義」。そんなのくだらないと思う人がいるかもしれないけれど、急激な改革の歯止めとしての効用がある。誰もが納得できることならすぐにやればいい。そうでないものは前例を探してきて説得力を持たせる。どうしても前例が見つからないときに、どうしてもそれが必要なら、そこで初めて新しいことを始める。そしてそれが「前例」となる。それが保守の精神。


それと正反対なのが「革新」。理性などによる「絶対的な正さ」を旗印にして伝統や慣習を破壊する。必要か必要でないかなどはほとんど関係がない。正しいからそうしなければならないというのが根本にある。保守はそれを批判してきた。


ここ数年議論されている「夫婦別姓」問題についていえば、家名存続のためなどの必要によってそれを望んでいる人がいる。一方では平等思想などにより夫婦別姓であるべきだという主張をする人がいる。同じことを主張していても中身は全く違う。エドマンド・バークフランス革命を批判した一方でアメリカ革命を支持したのも、中身が全然違うから。