多神教

『「神道」の虚像と実像』(井上寛司 講談社現代新書)が図書館にあったので少し読んでみた。しかし寝不足だったので、強烈な睡魔が襲ってきて、頭の中にさっぱり入ってこない。途中で断念。また今度改めて読んでみるつもりではあるけれど、この新書に書いてあることを消化するのは無理っぽい予感がする。何しろ俺には予備知識がほとんどない。そしてこれは新書だから詳細な解説が書いてあるわけではない。なんとなくわかったような気になってしまうのは非常にまずい感じがする。


今のところ一番気になっているのは「多神教」。一体「多神教」とは何であろうか?


俺が考えるに「多神教」とは一神教」でない宗教のことだと思う。

その名のとおり多神教では多くの神々が崇拝され、それゆえに同じ宗教の中での信仰形態も多様である。また、特定の一神(主神)が最も高位にあると考え、主神を崇拝の中心とするものを、多神教一神教と呼ぶことがある。例えば岩田慶治は、これを「カミと神」という言葉で区別する。かつてはエドワード・タイラーのように、多神教一神教への発展中途にある信仰だという主張が公然となされてきたが、現在ではそのような進化論的な議論がされることは少ない。

多神教 - Wikipedia


ウィキペディアの説明も実にあっさりしたものだけれど、それでも「同じ宗教の中での信仰形態も多様である」とか「主神を崇拝の中心とするものを、多神教一神教と呼ぶことがある」とか、多神教が多様であることが示されている。


神道多神教と呼ぶことは、キリスト教イスラム教と比較する場合にはある程度有効ではあるだろうけれど、神道それ自体を研究する場合には、それだけではあまりにも大雑把すぎるように思う。


というわけで、家に帰ってきてからネットで「多神教」を検索していたら、こんな記事があった。
一つの多神教という日本的ファンタジー - 数えられなかった羊