あと高島秋帆に入門した薩摩の鳥居平八、平七兄弟というのが出てきて、なんだか曽我十郎、五郎みたいだなと思ったが、こんな兄弟、ホントにいたんだろうか。
⇒2012-06-28 - 猫を償うに猫をもってせよ
真田昌幸
天文16年(1547年)、真田幸隆の3男として生まれる。
源五郎(幼名)
真田信尹
真田 信尹(さなだ のぶただ)は、戦国時代の武将。武田信玄の家臣真田幸綱(幸隆)の四男。
源次郎(幼名)
真田信之
永禄9年(1566年)、武藤喜兵衛(後の真田昌幸)の長男として生まれる。
源三郎(幼名)
真田信繁
永禄10年(1567年)、真田昌幸(当時は武藤喜兵衛)の次男として生まれたとされる。母は正室の山手殿[1]。
通称:源次郎
なんて例があるみたいですね。
参考⇒風雲、真田幸村伝-出生から大坂夏の陣まで-