⇒無駄な知識などない:まさかペリーが太平洋横断して日本に来たと思ってる奴はいないよな?
もちろん知っていましたとも。
しかし理由についてはあまり深く考えていなかった。
単純に「東インド艦隊だから」と思っていた。
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その中では燃料補給の必要からというのが多い。本当にそうなのか?
Q5 太平洋航路が開かれていたのに、どうしてペリーは大西洋経由できたのだろうか?
A5 経由地で日本の情報を得るためであった。それだけ開国させる強い意志があった。琉球、小笠原に先に行き、拠点化している。
と高校の先生がおっしゃってます。
⇒詳しくわかる高校日本史
この「太平洋航路が開かれていたのに」というのは
・この後、西部の開拓が進行し、どうしても日本を開国させる 必要が出てくる。1846年、アメリカはメキシコと戦争をし、ニューメキシコ、カリフォルニアを領土とした。48年、カリフォルニアで金が発見され、49年には世界中から10万人が金掘り に来た。西部は急速に発展し、52年、パナマ地峡横断鉄道ができ、ここからサンフランシスコへの航路が開かれた。
・ロンドン−喜望峰−上海とニューヨーク−サンフランシスコ−上海は同日数で移動ができるようになり、太平洋航路で清国との貿易をする強い希望が出される。
ということだそうだ。これを信じれば太平洋航路の方が早いということになる。ゆえに航海上の理由ではなくて、それ以外の理由(情報収集のため)ということになるんだろう。
ただし良く見れば、「ニューヨーク−サンフランシスコ」は船ではなくて鉄道での移動だ。
ニューヨークから船を使うのだとしたら、日数は鉄道よりもかかるだろう。
ペリーは日本に行くことさえできれば、交通手段は何でも良かったというわけではない。
ペリーは日本開国任務が与えられる1年以上前の1851年1月、日本遠征の独自の基本計画をウィリアム・アレクサンダー・グラハム海軍長官に提出していた。そこでは、以下の様に述べている。
任務成功のためには4隻の軍艦が必要で、その内3隻は大型の蒸気軍艦であること。
日本人は書物で蒸気船を知っているかもしれないが、目で見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。
中国人に対したのと同様に、日本人に対しても「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう」
オランダが妨害することが想定されるため、長崎での交渉は避けるべき。日本開国任務が与えられると、計画はさらに大掛かりになり、東インド艦隊所属の「サスケハナ」、「サラトガ」(帆走スループ)、「プリマス」(USS Plymouth 同)に加え、本国艦隊の蒸気艦4隻、帆走戦列艦1隻、帆走スループ2隻、帆走補給艦3隻からなる合計13隻の大艦隊の編成を要求した。しかし、予定した本国艦隊の蒸気軍艦4隻の内、使用できるのは「ミシシッピ」のみであった。さらに戦列艦は費用がかかりすぎるため除外され、代わりに西インドから帰国したばかりの蒸気フリゲート「ポーハタン」が加わることとなった。
ペリーは「大型の蒸気軍艦」を必要としたのだ。
「大型の蒸気軍艦」はどこにでもあるという代物ではない。「ミシシッピ」は東海岸のノーフォークにあった。「サスケハナ」他は上海にあった。
まさかペリー艦隊全てが同時に大西洋航路で日本に来たと思ってる奴はいないよな?
さて東海岸のノーフォークから上海経由で日本に来るのに、大西洋航路と太平洋航路のどちらが早いであろうか?
※(A)「ロンドン−喜望峰−上海」と(B)「ニューヨーク−サンフランシスコ−上海」(途中鉄道使用アリ)は同日数だから、「ニューヨーク−ロンドン」間に必要な日数と、「ニューヨーク−サンフランシスコ」間の船舶利用と鉄道利用に必要な日数の差分を比較すれば概算ができるだろう。
なおパナマ運河が開通したのは1914年のことである。
そういうことじゃないの?
あと、まさかペリー艦隊が全て蒸気船だと思ってる奴はいないよな?