体罰の理想と現実

朝日新聞デジタル:自民・伊吹氏「体罰全否定したら教育できぬ」 元文科相 - 社会

 伊吹氏は「私もあなたの考えに近い」とし、体罰が問題化するのは「何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていないから。愛情を持って加えているのか判然としない人が多すぎる」と持論を展開。「体罰を容認したと言われ、サディズムの権化のような先生が出てくると困るが、要は人間を磨くということ」などと述べた。

俺は体罰否定派だが、当然賛成派の人だっているだろう。ただ、ここで問題になるのは、もし伊吹氏のような主張が採用されたとして、現実問題として全国の教師にどうやってそれを周知徹底させることができるのかってこと。伊吹氏が数人の教師にマンツーマンで「ここまでが容認できる範囲だ」ということを徹底指導すれば伊吹氏の望むような教師が育つかもしれないが、全国の教師にそれをするのは不可能だ。教師が「伊吹氏が必要だと言ってた」と主張し、伊吹氏が「そこまでの体罰を自分は容認していない」といった事案が頻発するであろう。それを防止するためには分厚いマニュアルや長期間の研修が必要になる。しかしそうしたところで意思疎通を完全に達成できるかは怪しい。一見簡単なことのように見えて実際にやるとなると超難しいという割と良くある事例の一つではなかろうか?