万人の万人に対する闘争とグローバル化

万人が万人の歴史認識を持つことによって内田先生のいうような「シニスムが深く浸透」するなんてことは決してない。それによって起こるのは「万人の万人に対する闘争」である。


※ちなみにシニスムとは

1 ギリシャ哲学で、キニク学派がとった立場。
2 社会の風潮・事象などを冷笑・無視する態度。冷笑主義。シニスム。

シニシズム【cynicism】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
だそうだ。



ところで内田先生はグローバル化グローバル化というけれど、俺の理解するところでは、現在進行しているのはグローバルスタンダードを設定することである。域内の万人に対して統一された規格に従えということである。内田先生も

多国籍産業やヘッジファンドは国境を開放し、ビジネスランゲージも決済通貨も度量衡も統一することを求めている。企業が短期的に巨大な収益を上げ、CEOや株主たちが個人資産を最大化する上で端的に「国民国家は邪魔になった」ということである。

と言っているではないか。

誰もが自己利益のために行動している。私はそれを咎めない。だから、諸君も私を咎めるな

とは真逆の方向ではないか。


なぜ歴史認識だけが逆の方向にいくと予想するのか?わけがわかりませんな。


※ まあ、このあたり一般的に右と左の思想がごっちゃになって混乱しているところがあるようには思いますけどね。