「保守とリベラル」という記事について(その2)

上に書いた件について具体例。


【リベラル】
女性は専業主婦であるべきという風潮は女性の自由を阻害するものである。


(反論)でも専業主婦になりたいと思ってる女性もいる。


(リベラル穏健派)そういう女性がいることは確かだ。なりたい人はなればいい。なりたくない人にまで強制するのが問題だ。


(リベラル過激派)それは彼女の「真の希望」ではない。その「本人の希望」とやらは彼女を取り巻く環境によって植え付けられたもので、あたかも本人が希望しているかのように錯覚しているだけである。たとえ本人が専業主婦を希望していると主張していても、専業主婦にさせてはいけない。彼女の「真の希望」を叶えさせなければ自由とはいえない。


【保守】


(保守1)我が家では女性は家の中にいるものと決まっている。外で働くことは許さない。それが嫌なら結婚をあきらめてほしい。隣のAさんの家では奥さんが外で働いているけれども、よそはよそ、うちはうちだ。


(保守2)我が国の女性は結婚したら専業主婦になるべきである。欧米では女性の社会進出が当然だというけれど、我が国には我が国の文化がある。


(保守3)女性は家にいるべきだ。欧米では女性が社会進出しているというが、それは間違った考えである。欧米はその点では劣った国であり我々が学ぶべきことは何もない。


(保守4)女性が家にいるべきだというのは人類の普遍的な原理である。我が国のみならず人類全てにこの原則を遵守させるための行動をしなければならない。


※ (保守4)になると、言ってることが逆なだけで、(リベラル過激派)と何ら変わるところはない。そもそも(保守3)や(保守4)は世間一般では「保守」のカテゴリーに入るんだろうけれど、俺から見れば保守ではない。


※ もちろん保守であっても女性の社会進出を容認、あるいは推進する人はいくらでもいるということは言うまでもないことだが念の為に書いておく。