(諏訪で)信長が光秀を折檻したという伝説はいつ発生したのか?

昨日の「真田丸」より

諏訪湖のほとりに広がる長野県諏訪市諏訪大社は、全国にある諏訪神社の本社として知られる社です。信濃に攻め込んだ織田信長諏訪大社上社の脇にあった”法華寺”を本陣としました。信長が激怒し明智光秀の頭を打ちすえたのはこの寺だったと伝わっています。

紀行 No.04|NHK大河ドラマ『真田丸』


前にも書いたと思うけれど「伝わっています」とか「言われています」とかいう話は、疑ってかかったほうがいい


なお、ここで言う「疑ったほうがいい」というのは、そこで語られる話が事実なのか疑うべきということではなくて、その話が本当に「伝わっています」という表現が適切なのか疑ったほうがいいという意味。たとえば江戸時代に実際にあったこととして語られる怪談があったとする。実話ではないことは明白だが、それとは別にその話がいつ作られたのかという問題が存在し、江戸時代の話だから江戸時代に作られたなんてことは全くなくて、明治時代に作られたのかもしれないし、去年作られたのかもしれないのだ。


こんなことは歴史の初心者でも理解できることであって、初心者向けの本でも「これは後世に書かれた史料に載るものであって同時代の史料には見えない」なんてことは普通に書いてあるのである。しかしながら、歴史ファンの関心は「その話が史実か否か」に集中し、それ故に信頼度の低い同時代史料でないものは十把一絡げの扱いになる傾向があるっぽいと常々感じている。


だが明らかに史実ではない話であっても、その話が作られたのはいつか?を考察するのは、それも一つの「歴史研究」である。それをないがしろにすれば、実はつい最近作られた話なのに、古くから伝わっている話だという誤った歴史認識を持ってしまうであろう。


有名なのは青森県戸来村の「キリストの墓」の話で、これが史実でないのは明白だが、これを東北の隠れキリシタンが言い伝えてきた話、あるいは地元民が言い伝えてきた話だと理解している人というのは少なからずいるのである。たしかあの原田実氏もそう考えていたと自らおっしゃっていたと記憶している。しかし事実は地元の伝説でもなんでもなくて、昭和に竹内巨麿によって作られた比較的新しい「伝説」である。
キリストの墓 - Wikipedia


信長が法華寺で光秀を折檻したという話も、当然疑ってみる必要がある。


で、結論から言えば、やはりこの話は古くから言い伝えられてきたものではなくて、おそらくは戦後に出来たもので、天正10年(1582)から現在までの時を考えれば、最近出来たものであろうと思われる。


(つづく)