「二本手に入る」は「日本手に入る」なのか?(その2)
「二本手に入る今日の悦び」は「日本手に入る」だとすると誰が手に入れたというのだろうか?もちろん織田信長が手に入れたということだ。しかし、それはおかしいではないか。
いや以前の織田信長観だったらおかしいと思わなかったのかもしれない。信長は天下取りを当初から狙っており、足利義昭はそのための道具に過ぎないのだと。だが、最近は信長の目的は室町幕府の再興だったという説が主流になっている。この説に従えば「日本手に入る」はおかしい。
いやこれは小瀬甫庵の『信長記』や遠山信春の『織田軍記』等に書いてあることであり、同時代の一級史料ではない。後の時代に創作されたものであって、そこでの信長は最初から天下取りを目指していたのだからおかしくはない、と考えることも可能かもしれない。
しかしながら、これが史実ではないとしても、一度疑いの目を向けてみると、
(1)この時点で野望を持っていても、それを表に出すのはおかしいい
(2)そもそもこの時点で「日本」を手に入れてないのだからおかしい
(3)そもそも天皇がいるのに「日本を手に入る」という表現がおかしい
以上の理由でやはりおかしいと思う。
ところで「二本手に入る」の「二本」は「日本」だと一般に解釈されているけれども、「今日の悦び」も「京の悦び」だという解釈がなされているものがある。ただし、いつ頃からこの解釈があるのか調べてみたがわからない。「国立国会図書館デジタルコレクション」で探したが見つからなかった。今のところ『日本歴史全集. 第10』(講談社1969)に
「二本(日本)手に入る今日(京)の悦」
とあるのを確認。もっと遡れるかもしれないが、古いものにはあまりこれは無いように思われる。信長が日本を手に入れると(信長がよろこぶのはわかるが)なぜ京がよろこばなければならないのか?奇妙な話である。
だが、「二本手に入る」を「日本手に入る」ではなく別の解釈をすれば、「今日の悦び」は「京の悦び」の解釈が正しいと俺は思うのである。
では、「二本」とは何か?
ずばりこれでしょう。
「足利二つ引」すなわち足利将軍家の家紋。
そもそもこの話は新公方(将軍)足利義昭が帰洛してめでたいという話なのだ(本心はともかくそういう体で信長にお礼したという話)。
つまり「二本手に入る今日の悦び」とは、
「二本(二つ引き=新公方足利義昭)が京にお入りになって実にめでたいと京の者どもはみな悦んでいます(信長さんありがとう)」
という意味と考えられる。
よって、この歌は里村紹巴のものであり、小瀬甫安の『信長記』が本来の形(甫庵の創作かもしれないが)だと考えられ、『織田軍記』は甫庵『信長記』の記事の意味を理解できず改変してしまったのだろう。
疑いを持って再考してみれば割と簡単に思い至る実に単純な話だが、江戸時代の早い段階で既に誤解が生じていたと思われる。
(おわり)