「二本手に入る」は「日本手に入る」なのか?(その1)

「二本手に入る今日の悦び」という有名な歌がある

紹巴、末広がりの扇二本、台にすゑて直に捧げらる。いかにと見る所に、御前につい居て、上下をも取あへず、

  二本手に入る今日の悦び

と申されければ、信長卿、

  舞ひ遊ぶ千世万代の扇にて

(『小瀬甫庵選 信長記現代思潮社

永禄11(1568)年に織田信長足利義昭を奉じて上洛。9月28日東福寺を訪問したときに、連歌師里村紹巴らがお礼を申し上げた際の出来事。

 

なお『織田軍記』では

中にも連歌師の紹巴法師は、末廣の扇子二本臺にのせて献上申し、御禮申上げゝれば、信長公御覧じて、

  二本手に入る今日のよろこび

と御出吟あり、是につけられ候へと仰せられたりければ、紹巴は取りあへず、坐もさらで申上ぐるには、

  舞ひるゝる千世萬代の扇にて

と付け申上ぐれば、

(『通俗日本全史』)

とあり、信長と紹巴の詠んだ歌が逆になっている。

 

この「二本手に入る今日の悦び」については「二本」は「日本」のことだとの解釈が一般になされている。

 

いつからその解釈があるのか?渡辺世祐博士の『安土桃山時代史』(明治38)および『安土桃山時代史』(明治40)では、

二本手に入る今日のよろこひ

『大日本時代史. 安土桃山時代史』(明治40)では。

二本(日本)手に入る今日のよろこび

となっている。また山路愛山『豊太閤. 〔前編〕』(明41,42)

日本(二本に通ず)手に入けふのよろこび

とある。これは歌の方が「日本」になってしまっているが、とにかくこの頃から「二本=日本」の解釈が広まった感じがする。

 

ただし、実はそれより遥か以前から「二本=日本」の解釈は存在した。それは江戸前期の『本朝通鑑』寛文10(1670)年で、そこに

二本與日本音響近故云

と書いてある。

 

「二本=日本」であるなら、歌の意味は何なのか?先の山路愛山の『豊太閤. 〔前編〕』には

信長の眼中既に将軍なく管領なかりし情見るべし。

とある。その他

紹巴の詠んだ二本には日本の意味が含まつて居る。實に信長入京の目的は上に天皇を戴いて日本全國に號令しようといふのであつた。

(『新日本の小学国史. 巻3』大久保馨 昭和5)

 

當時信長の意氣は日本を呑んでゐた、二本を日本にひつかけて、これを手に入る悅びとやつたもので、

(『講談日本外史. 第4巻 戦国群雄の巻』今三余 大正13-15)

とある。要するに「信長が日本を手に入れた」という意味で、現在の一般の解釈も同じであろう。

 

だが、本当にそうなのか?俺は大いに疑問に思うのである。

 

(つづく)

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