昨日の『豊臣秀吉は「日本」を「にほう」と書いたのか?』は取り消します

久々に書いた記事だったけど…

 

秀吉書状の「にほうの大いり」=「日本の内裏」は、(1)いくら何でも「日本」を「にほう」と書くだろうか?そして(2)「内裏」とだけ書けば良いのであって「日本の」は不必要という点において、非常に不自然な印象を受ける。

 

よって、「にほう」は「日本」ではなく別の意味があるのではないか?と考え「二房(にぼう)」ではないかと思い付いた。「にほうの大いりゑしゆし」で「二房(側室)の内裏への出仕」を求めているのではないかと。

 

しかしながら、別の文書を参照すると、秀吉は朝鮮国王の参内を求めている。よって「にほう」=「二房」は成り立たない。「にほう」=「国王」なら成り立つが、それに当てはまる文字が全く思い付かない。

 

ただし、これでまた不自然な点が一つ増えた。というのも他の文書には「高麗帝王」「高麗国之帝王」「高麗国王」「国王」とことごとく誰が出仕すべきかが書いてあるのに、この文書はその部分内容が他の文書とほぼ同じにも関わらずそれに該当するものが無いことになる。

 

というわけで、まだまだ納得はしてないのだが、さりとて別の解釈が思いつかないので、「にほうの大いり」は通説の「日本の内裏」と現状解釈せざるを得ない。

 

(参考)

 又こうらいのほうまてにほうの大いりゑしゆし可申よしはやふねをしたて申つかわせ候 しゆし不申候はヽらいねんせいはい可申よし申つかわせ候

 

徳川家康宛書状

高麗帝王日本へ出仕於在之者、可令赦免由申遣候、自然於滞者、高麗へ人数可渡儀、当年ハ船残置候条、来春人数以下遣之、成敗儀可被仰付候、

 

本願寺顕如宛書状

高麗国王可参内候旨被仰遣候、若於滞者、彼国へ相越人数被相究成敗事

 

天正18年)秀吉自筆書状

ニほん(日本)三ふん(分)一ほと候まヽ

 

 

にほう(『豊太閤真蹟集. 上』)国立国会図書館デジタルコレクション

ちなみに直前の「こうらいのほうまて」の「ほう」

ほうまて(同上)

 

往生際悪いけれども「こうらいのほうまてにほうの大いりゑしゆし可申よし」の

「こうらいのほう」を「高麗の方」とした場合、この「方」も必要く「高麗まで」で良いのではないかという疑問。『高麗の「ほう」までに「ほう」の内裏へ出仕申すべくよし』で「ほう=王」ではないかなどと…もちろん「王」を「ほう」と呼ぶ例など無いと思うのでかなり無理がある。しかしながら「にほう=日本」に納得いかないところがあるので、様々な可能性を探ってしまうのである。