上杉謙信と天下

英雄たちの選択「関東から天下へ!〜上杉謙信の夢と野望〜」 - NHK

無欲で「義」の武将のイメージ・上杉謙信。しかし最新の研究からは、古い秩序が崩壊していく戦国乱世のなか、謙信が、天下をまとめ上げる構想を持っていたことが浮かび上がってくる。

最近の研究ではそうなっているのか。いや実のところ最新じゃない旧来の研究がどういうものなのかについても俺は詳しくないんだけど。


ただ、俺のイメージとしては上杉謙信関東管領上杉氏の名跡を継承したことにより、謙信の眼中にあるのはあくまで東国のみであったのではないかと思ってる。それは自然な感情というよりも謙信自身がそう自己規定することにより成り立っていたんだと思う。たしかに謙信は

晴信を退治し、氏康と輝虎で無事に和睦し、留守中の分国を心配せずに、天下へ上洛せしめ、筋目を守り、諸士と談合し、三好・松永の首を刎ね、京都公方様と鎌倉公方の両公方様を取立て申す

という願文を残している。これを見ると天下に対する構想があったように見える。でも俺の考えではこれは、足利義明を将軍に擁立することによって、古賀公方足利晴氏の長男の藤氏の後ろ盾とすることを目的としたものではないかと思う。ところが永禄9年(1566年)以降の藤氏の消息は不明で北條氏康によって処刑されたともいわれている。
足利藤氏 - Wikipedia


足利義昭擁立に積極的だった謙信が、何だかんだ理由をつけて消極的になったのは「本来の望み」が絶たれたことで、義昭を擁立する動機が無くなったからではないだろうか?


ということを前に書いた。
天下へ上洛(その3) - 国家鮟鱇


さらに言えば、この謙信の思想はその後の上杉家にも引き継がれ、関ケ原前夜における上杉と徳川の対立の原因になったのではないかとも考えている。秀吉は家康と和睦の際に上杉と徳川に東国を任せることを約束したという。「両雄並び立たず」で、これが豊臣家滅亡の根本原因じゃないかとさえ思う。もっともまだまだ調べなければならないことがいっぱいあるけど。