「アイヌ伝説が実は創作だった」件について(その2)

恋マリモ伝説が創作であることについては北星学園大学文学部教授の阿部敏夫氏が
「大正期におけるアイヌ民話集」(PDF)

青木は「悲しき葦笛」(阿寒のマリモ伝説)というアイヌ民話を創作しています。

と指摘している。これは『平成14年度普及啓発セミナー報告集』(アイヌ文化振興・研究推進機構 2003年3月)と同じものだろうと思われ。また

阿部 敏夫 和人のアイヌ文化理解について.-事例その1 青木純二「アイヌの伝説」 (適合度: 1)
刊行年: 1994/03
データ: 『環オホーツク』 環オホーツク海文化のつどい報告書 北の文化シンポジウム実行委員会 報告 北海道
pNamazu: 環オホーツク海文化のつどい報告書 / Namazu: a Full-Text Search Engine

とあるから、中身は不明だけど、この時点で指摘があったのではないかと思われ。


ただ、「青木は(中略)創作しています」とあるのは、正確ではなく「創作物を伝説として(ただし出典を明記して)紹介した」というのが正しいでしょう。これを阿部教授が把握しながら省略したのか、把握してなかった(あるいは誤解してる)のかは微妙なところ。


また、この報告書には

また大正十二年に小樽新聞社が「本道の民話」を懸賞募集しています。その一等が「マル藻と姫鱒」です。この話はマリモの童話、今に伝えられております阿寒のマリモ伝説、それを少し継子いじめその他の要素を付け加えながら創作されているのです。

とある。これはどういうことだろうか?


時系列で並べると
大正11年(1922)に朝日新聞社から発行された公募小説集『山の伝説と情話』に永田耕作氏の小説
大正12年(1923)に小樽新聞社「本道の民話」
大正13年(1924)発行の『アイヌの伝説と其情話』(青木純二)
となる。


阿部教授はどうやら、青木純二の「アイヌの伝説と其情話」は

ここに集めた「アイヌの伝説と其情話」とは大部分は婦人公論、淑女画報、大阪朝日その他の諸新聞、雑誌に発表したものと、さらに出版にあたって書き加えたものである。

という序文から、青木純二がマリモ伝説を創作し大正13年以前に他の媒体で発表し、小樽新聞の懸賞小説はそれを改変したのだと考えているような感じがする(確実とはいえないけど)。


けれども、俺の印象としては、まさにこの小樽新聞社に掲載された「本道の民話」こそが、民話として定着するのに大きな影響を与えた可能性があるのではないかと思う。


既に書いたように『アイヌの伝説と其情話』は出典が『山の伝説と情話』だと明記してあるので、誤解しやすいタイトルだが調べれば創作だとわかることだ。そもそも文体が小説であり、古老の言い伝えをそのまま書いたのでないことは一目でわかる。


北海道新聞の記事

ただ、アイヌ民族や研究者の間では和人の創作との見方もあった。

と書くが「見方もあった」といったレベルの話ではなかろう。


小樽新聞社「本道の民話」がどのようなものなのか、国立国会図書館デジタルコレクションにないので確認できないが、いかにも民話っぽいものだったら、それで本当の民話だと信じられたかもしれない。

※「本道の民話」の投稿者は誰だったのだろう?。永田耕作氏本人の可能性もなくはないが。