陰謀論批判批判2

『陰謀の日本中世史』は非常に評判が良い。ツイッターで言及されてるものをチェックしてみても批判は滅多に無い。それだけこの本が優れているのだという考えもできるだろうけれども、一方では世の中には陰謀論が蔓延しており、それを信じている人が多数いるのだから批判・反論する人が続出してもおかしくなさそうなものだが、そういうのは極めて稀。この本を読んで改心したのだろうか?


陰謀論についてはWIREDの記事が読みごたえがある。

人々が、ある情報の真偽に対するリサーチをする目的は、すでに自分のなかで決まっている“答え”を確認する行為でしかない。ゆえに、最初から信念に反論する情報には目を通すことをしない。これが「確証バイアス」であり、偏った思考をつくり出してしまうものだ。

なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:研究結果|WIRED.jp
というわけで陰謀論を信じている人で呉座氏の著書を読もうとする人はそもそも少ないのではなかろうか。


一方、同じことは陰謀論批判者についても言えるのではないか?呉座氏の本を読んで称賛している人の多くは、読む前から陰謀論に批判的な人が多いのではないだろうか?


※ なおWIREDの記事はこうも書いてある。

もちろん確証バイアスは、科学の分野でもおおいに起こりうるものであり、何も科学者だけが“欲しい結果だけを探しだす罠”にはまらないとは限らない。ただし、科学とは「なぜ」を問いかけるよりも先に、物事の現象が「どのようにして」起こるのかを探る学問でもある。そして科学的な実験結果は「真実」ではなく、再検証により「覆るもの」であるということも忘れてはならない。

「科学者」(歴史学者も)はそのあたりのことは(理屈としては)心得ているだろう。ちゃんと実践できているかは知らないけど。


『陰謀の日本中世史』は専門家向けの論文ではなく一般向けの新書だ。大ヒットしているから読者にはいろいろなレベルの人がいて日本史に興味はあるけどそんなに詳しくない初心者レベルの人もいるだろう、だが一方、熱心な日本史マニアもいるだろうし、専門家も読んでいるだろう。彼らは呉座氏の主張にツッコミ入れたいという気持ちは起きないのだろうか?呉座氏の書いていることは完全無欠だからツッコミ入れようがないということだろうか(俺はそうは思わないけど)。常日頃から陰謀論を不快に思っていて、それを批判する本が出たということで評価が甘くなっているということは無いだろうか?


まあ、こういうことを書くと「逆張り乙」みたいに思う人がいるのは確実だろうけれども、逆張りでもいいから俺は批判を見たいのだ。


(追記 6/6)
やっと批判見つけた。そして鋭い。
読書:『陰謀の日本中世史』 - たぬき日乗