政治系のネタも書こうと思ってるんだけど、ちょっと今時間が無いので、軽く趣味のネタ。
「目からウロコの琉球・沖縄史」という、とても面白いブログがあるんだけど、その2005年12月8日の記事、
「秀吉もびっくり、ウフチブル我那覇」から引用。
琉球に対しては薩摩の島津氏を介して使節の派遣を命じ、1589年、琉球の使者は京都の聚楽第で秀吉と対面します。この時の使者は天龍寺桃庵というお坊さんでしたが、その補佐役として我那覇親雲上(がなは・ぺーちん)秀昌がいました。対面した秀吉は正使の天龍寺そっちのけで我那覇に興味を示します。我那覇は頭が大きい人物だったようで、秀吉は彼の冠(ハチマキ)を取って自分がかぶります。すると我那覇の冠は秀吉の頭にスッポリとはまってしまったのです。秀吉は「大なるかな、秀昌の頭や」と叫んだといいます。嬉々として我那覇の冠をかぶる秀吉が想像できますね。それ以来、彼は「大頭(ウフチブル)我那覇」というニックネームがついてしまいます。我那覇にしてみればいい迷惑で「秀吉の野郎め…(怒)」と怒ったかもしれません。
秀吉が頭の大きい人物を見て喜んだという話。この記事を読んだときは面白い話だなと思っただけで、それっきりだったんだけど、昨日、前に本屋で買ってそのままにしていた、『日本名匠列伝』(学研M文庫)って本を何気なく読んでいたらこんな話が。(「辻与次郎」より引用)
此住職澄西大徳は、骨柄極めてふとくたくましき法師にて、頭頂大きに優れて、異様なりつるを、殿下興に思召、千の宗易を召して、此法師の頭のなりを釜にうつさせよと御事ありしかば、頓てさる如くに釜を鋳うつして奉るを大に興じ悦ばせ給ひしとや。
茶会に使う釜に「阿弥陀堂釜」というのがあって、その名称の由来について、『筆拍子』という史料にこう書いてあるそうです。秀吉は余程、大頭が好きだったのでしょうか。そういえば石田三成も頭が大きかったとか聞いたような…
まあ、本当のことかどうかわかりませんけどね。似たような話が流布しているのは別の理由があるのかもしれません。
- 作者: 江崎俊平,志茂田誠諦
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