この土手に 登るべからず 警視庁

野崎昭弘氏の『詭弁論理学』は持っているのだけど、『逆説論理学』は持っていない。だから、間違っているかもしれないけど。

あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記

「逆説論理学」で例示されていた逆説入りの標語のいくつかが、カネゴンが目をどんなに凝らしてみても逆説に見えず、焦る。
・「この土手に 登るべからず 警視庁」と書かれた禁札
・「手を洗う 心ひとつで 減る赤痢」(食堂に貼られていた標語)


俺もなぜこの標語が「逆説」なのか理解できません。
逆説の逆説たるゆえん(bewaad institute@kasumigaseki)
によると、

禁札は、おそらくはそれが土手の上に掲げられていて、下からではそれが読めず登ってようやく読める、ということではないかと。
標語は、実際に手を洗うという行動が赤痢を減らすのであって「心ひとつ」では減らねぇよ、ということではないかと。

と解説されているけど、「この土手に 登るべからず 警視庁」が仮に土手の上に掲げられていたとしても、何の問題も無さそうに見える。土手に登った人間が、この標札を見れば、「この土手に登ってはいけないのだから直ちに降りろ」という意味だということが理解できるであろう。例えば非常ボタンがあって、押したところ、「押すべからず」と表示されたのだとしたら、それは後の祭りだけど、これはそういう性質のものではないのだから、標札を見たらすぐに降りればいいのではなかろうか。


しかし、そもそもこの標札は土手の上に掲げられていたものではなさそうだ。
■外濠公園と法政大学(法政大学)

 大学前の外濠が掘られたのは、今から約340年前の寛永年間であった。お濠を掘った土で現在の土手を盛り上げた。この時以来、お濠も土手も幕府要害の地として立入りが厳重に禁止された。明治7年、時の東京府知事大久保一翁は、「伺書」を提出し、有名な「この土手に登るべからず 警視庁」の高札が、建つことになった。以来、この高札は、昭和初年まで生き続けた。

 震災後、学生が急増すると、彼らは憩いの場を土手の芝生に求めた。しかし、相変わらず高札が建っていて、道路と土手の境には、鉄柵がいかめしく張り巡らされていた。

これを考慮すると、「登るべからず」の理由が、すでに存在していなかったのにもかかわらず、相変わらず禁止されていたことが「逆説」なのではあるまいかと思ったりするけど、よくわからない。


で、上の推測が正しければ、「手を洗う 心ひとつで 減る赤痢」も、手を洗ったくらいでは、赤痢は防げないということかもしれないと思ったりするけど、実際手洗いは推奨されているので、「手洗いだけ」では防げないから「逆説」ということか?しかし「減る」と書いてあるからそういうことでもなさそうだ。(昔、手洗いで感染症で防ぐなんて言っているのは日本だけみたいな話を聞いたことがあるような、ないような)。実際に手を洗わなくてはいけないという解釈は、ちょっと揚げ足取りっぽい。


やっぱりわからない。