山本勘助は実在したのか?

今年のNHK大河ドラマ風林火山』が面白い。毎週楽しみにしている。何でこういうのが今まで出来なかったのか逆に不思議。


それはともかく、この『風林火山』の主人公である山本勘助だが、「実在したのか」というのが良く議論の対象となっている。簡単に説明すると、山本勘助という武将は江戸時代の軍記物などで紹介されて、実在の人物であると信じられてきた。それが明治になって近代歴史学が導入さ、勘助実在の根本史料である『甲陽軍鑑』の史料的価値は否定され、勘助は架空の人物であるとの見方が強くなってきた。ところが、昭和44年に「山本菅助」という名前の書かれた文書が発見され、この「山本菅助」が「山本勘助」と同一人物ではないかと考えられるようになった。しかし疑問点もいくつかあり、いまだに決着はついていない(詳細はウィキペディアを読んでください)。


山本勘助(ウィキペディア)


ところで、戦国時代の地方領主の家臣が実在の人物なのか、架空の人物なのかは、それなりに面白い話題ではあるけれど、それが日本の歴史を考える上でどれほど重要なことかといえば、それほど重要なことだとは思えない。そういう意味では俺の興味の範囲外。ただし、山本勘助は例外的に興味をそそる。なぜなら彼は「片目・片足」であったと伝えられているからである。「片目・片足」の人物は金属民と関係がある可能性がある。


隻眼(ウィキペディア)


しかも甲斐といえば「甲州金」で名高い。また武田信玄埋蔵金伝説も有名だ。
甲州金(ウィキペディア)


さらに「ヤマカン」の語源には「山師の勘」という説と「山本勘助の略」という説があるが、山師とは「鉱脈の発見・鑑定や鉱石の採掘事業を行う人」(大辞泉)という意味がある。


そういう意味で、俺は山本勘助にとてもとても興味がある。