東の比叡山

寛永寺(ウィキペディア)

江戸にあった徳川家の菩提寺のうち、増上寺は中世から存在した寺院であったが、寛永寺は徳川家により新たに建立された寺院である。元和8年(1622年)、江戸幕府2代将軍徳川秀忠と、当時の天台宗の高僧・天海は一大寺院の建立を発願した。秀忠の隠居後、寛永2年(1625年)、3代将軍徳川家光の時に今の東京国立博物館の敷地に本坊(寺僧の住坊)が建立された。この年が寛永寺の創立年とされている。当時の年号をとって寺号を「寛永寺」とし、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して、「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とした。

1625年以前の「東叡山」は川越の喜多院であった。


小江戸探検隊(喜多院)


他にも「東叡山」は存在する。


一つは埼玉県桶川市にある「東叡山泉福寺」。


もう一つは茨城県筑西市(旧明野町)にある「東叡山承和寺跡」。

(地図を見ると「上野東叡山」とあるのだけど、寛永寺のある「上野」と関係するのだろうか?)


後に移転して筑西市(旧関城町)の「東睿山千妙寺」。


どちらも慈覚大師円仁が関わっているらしい。


円仁(ウィキペディア)


関東天台宗の歴史とか調べてみると面白そうだけど、無茶苦茶手間がかかりそう。