「保守」と陰謀論

この前取り上げたkikulogの記事のコメント欄菊池誠氏が、

それは「陰謀論に与する左翼は本当の左翼だが、陰謀論に与する右翼はニセ右翼である」と言っておられるだけなので、一種のトートロジーです。
陰謀論に嵌った人たちは左右を問わずいます。ユダヤ陰謀論とかね。
 
論理的に考えられない人は左右関係なくいます。陰謀論を受け入れる素地はどこにでもあります

と書いている。


その通りだとは思うけれど、ただ、一般に「保守的」と言われるような人達(「政治的保守主義」とは別だが無関係でもない)は、この手の陰謀論に慎重な態度を示すだろうとも思う。逆に言えば、新説が正しくてもすぐには受け入れないということだけれど。


現代において地動説を否定することと、中世に地動説を否定することとは随分意味が違うだろう。進化論も日本人には理解しがたいところがあるけれど、キリスト教国では、保守的な人にはなかなか受け入れられないというところがあるのだろう。


ただ、これが「インテリジェント・デザイン」とかの「創造科学」になると、反革命が革命と似た色彩を帯びるようになるのと同様、「保守的な人」にとっては等距離のもののように見えるんじゃないかと思うんだけれど、このあたりのことが、「創造科学を支持する保守」みたいな感じで論じられることが多いので、「(進化論に慎重な)保守」の反対の「進化論」の反対の「創造科学」は「(進化論に慎重な)保守」とどの程度重なっているのか(敵の敵は味方なのか)が良くわからない。