江口の君

2009-04-28 (猫を償うに猫をもってせよ)
経由で知った記事。


「遊女曼陀羅」第五回 「遊女」は 普賢菩薩の化身だったのか?  


俺は日本史における「遊女」に強い関心があるのだけれど、今のところ関心があるだけで、深い知識があるわけでなく、原典を当たるということはしないで、それについて言及している書籍等から知識を得ているだけ。謡曲「江口」についても、それがしばしば取り上げられていることは知っていたけれど、詳しいことは何も知らない。


で、せめて、もう少しは知識を得ようとしてネット検索して見つけた論文。


⇒<論文>『江口』の遊女と普賢菩薩との同一性 : 女人救済の問題を中心に(前編)
⇒<論文>『江口』の遊女と普賢菩薩との同一性 : 女人救済の問題を中心に(後編)


著者は植野慶子氏。無論、俺の知識は薄いし、これから精読しなければならないけれど、第一印象では非常に説得力があるように感じられました。


あと良くわからないのが、この論文でも言及されている佐伯順子氏の『遊女の文化史』での主張。遊女が「死んだ」というけれど、「遊女曼荼羅」に引用されている「能狂言鑑賞ガイド(小学館)」を見ると、「江口の君」の幽霊が最初「里女」の姿で現れ、その後「江口の君」の姿で現れたように見える。とすると既に遊女は死んでいたと思うのだけれど、そういうことではないのだろうか?「本説」に遊女の死が書かれているらしいのだが、そもそも「本説」ってなんじゃ?能のことはさっぱりわからない。そこから勉強を始めなくてはわからないみたい。