本能寺の変の真相を知っている者は?

文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『本能寺の変 光秀の野望と勝算』 樋口晴彦 (学研新書)
文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『検証 本能寺の変』 谷口克広 (吉川弘文館)


一口に歴史の謎といっても、当時の人なら知っていたことが現代人にはわからないというものと、当時の人でもわからないというものがあると思うんだけれど、後者の場合、歴史学の分野ではあるけれども、現代のこと、たとえば一昨年の「大連立騒動」の真相は?なんてことだって、本当のことを知っているのは一部の当事者だけだろうと思うわけで、それについて評論家があれこれと推測を述べているのと、本能寺の変の真相について歴史研究家があれこれ述べているのとは大した違いがないと思いますね。


結局、本能寺の変の真相は、それが書かれた信頼できる史料が発見されない限り、わからないということになると思うんだけれど、その可能性は極めて低い。できることといえば、考えられる可能性を出来る限り想定していって、常識的に考えて有りえそうなことと、無さそうなことを分類していくといったことになるだろう。史料は重要な手がかりだけれど、この手のことで史料の有る無しだけで優劣を決めるのは危険だと思う。


本能寺の変の場合、真相を知っている者は誰かと考えた場合、当然、明智光秀は知っていたと考えられる(ただし「真の動機」は本人もわからんという場合もあるだろうけれど)。で、明智軍の部将たちは知っていたかとなると、早くもここからよくわからなくなる。光秀の動機に賛同したのかもしれないし、光秀が信長を討つと決めた以上は後に引き返せないと考えただけなのかもしれない。


光秀に野望があったのか、それとも(大義のため、私怨のために)信長を亡き者にすることが目的だったのか。野望があれば部将たちも付いていくメリットはあるだろうけれど、私怨はもちろん、大義のためであろうと部将たちが付いてくるだろうか。このあたりどうもすっきりしない。


で、野望があったとして、それが達成される可能性ということになると、これがまた怪しい。秀吉の中国大返しがなかったら、光秀が天下を取れる可能性は十分あったかのように言う人もいるけれど、どうなんだろう?俺はかなり苦しいと思うんだけど。


何といっても光秀は「主殺し」の主犯なんだから、これを討つ大義名分は十分にある。秀吉が(結果的にだったかもしれないが)そうだったように、光秀を討つことには大きなメリットがある。仮に光秀が天下を取ったとしても極めて不安定で、短期に崩壊する可能性が高い。


そもそも、主君を殺して後釜になったという例ってあるんだろうか?元から実質的な権力者であって、主君が傀儡だったり、勢力が衰えていたとかいうのだったらいくらでもあるだろう。信長は尾張守護の斯波氏を追放したし、将軍義昭を追放した。徳川家康は豊臣家を滅ぼした。


だけど信長の場合、絶頂期であり、光秀は信長軍団の一武将に過ぎない。主君を殺して後釜になれるんだったら誰だってそうするだろって思う。


もし野望があったとするなら、名目であれ誰かを担ぎ上げるんじゃないのかって普通考えるんじゃないか(普通って書いたけれどあんまり言及されてるようにも思えない)。松永久秀三好三人衆は将軍義輝を殺害して義栄を擁立した。彼らは光秀よりも勢力があったろうけれど。


で、それが誰かとなると、本命足利義昭、他に津田信澄(信長の甥、正室が光秀の娘)、細川幽斎の子の忠興だった可能性があると思う。ただし、彼らが本能寺の変の前に光秀と連携を取っていた可能性は低く、光秀の一方的な考えだっただろうと思う。