「地獄への道は善意で舗装されている」の本当の意味は?(その3)

マルクス資本論の中でどう書いているのかがわかった。

俗流経済学に明るい資本家はおそらく云うであろう、――自分は、

自分の貨幣をより多くの貨幣たらしめる意図をもって投下したのだと。

だが、地獄への道は善き意図をもって舗装されている。彼は同じように、

生産することなく金儲けをする意図をもちえたのである。

資本論第1巻第3編第5章第2節、注釈14がついている部分)

「地獄への道は善意で舗装されている」は誰の言葉か - うつせみ日記 (Utsusemi Nikki)


そういえば、これはどこかで読んだ記憶がある。だが、これはどういう意味なんだろう?


「善意」に該当するのは、「自分の貨幣をより多くの貨幣たらしめる意図」になるだろうけれど、「善意」とは通常「相手によい結果を導こうとして行為を行なう気持ち」のことだ。しかし、「自分の貨幣をより多くの貨幣たらしめる意図」というのは「利殖」という意味に思われるので、そういう意味の「善意」ではなさそうに見える。


一方、法律用語では「ある事実について知らないという意味」になる。つまり「故意」ではなくても、悪い結果をもたらすという意味になるだろう。
善意 - Wikipedia


しかし、この場合「地獄」へ行くのは誰か?「生産することなく金儲けをする意図」が、この世を地獄にするというようにも受け取れるけれども、「俗流経済学に明るい資本家」が自覚はなくても悪事をなしたので地獄へ行くという意味だとも受け取れる。俺は後者の意味ではないかと思う。


(なお「悪事をなした」というのは「生産することなく金儲けをする意図」を持ちえたという意味であり、「悪い結果をもたらした」という条件は必要ないようにも思える)


もちろん自信があるわけではないが…


(追記)
地獄への道は善意で舗装されている - アンサイクロペディア

更に、善意という言葉は、法律用語で言えば、「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。つまり、犯罪と知らずに窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意になるのである。

ネタサイトと意見が似ているというのは喜んでいいのか悲しむべきなのか複雑なんだけれど、この前もそうしたことがあったので、あなどれないのである。
源実朝暗殺と本能寺の変 - 国家鮟鱇