「地獄への道は善意で舗装されている」の本当の意味は?(その2)

「罪人の歩む道は平坦な石畳であるが、その行き着く先は陰府(よみ)の淵である」(旧約聖書続編、シラ、二一-一〇)に由来し、のちにイギリス、ドイツの諺となった。

地獄への道は善意で舗装されているとは - はてなキーワード


陰府(よみ)」だけれど、「コイノニアホームページ」の解説によると、

ほんらい旧約時代には、新約聖書の言う「地獄」という考え方はなく、陰府は死者たちが往くところで、そこは「生きている」神から切り離された場所として、人が朽ち果てる所であり(ヨブ記17章13〜16節/詩編49篇15節)、したがって「天」と対照される「地下の国」のことになります。また、後の時代には、神の裁きを待つ場所とされました(シラ書9章12節/イザヤ14章19節)。

【陰府】
とある。


「地獄」が元々は「陰府」のことであり、「陰府」がシラ書では「神の裁きを待つ場所」という意味であるのならば、やはり、

良かれと思って行ったことが悲劇的な結果を招いてしまうこと。

というような意味が本当にあるのか、再検討する必要があるように思う。