⇒聖者の行進〜亡くなることを祝う!?黒人奴隷たちの心の叫び、そして聖者は“街にはやってこない”〜|TAP the NEWS|TAP the POP
俺は今までこの歌の意味を考えたことがなかった。
「ラッパの音(裁きの音)が鳴り響く時」というのは「黙示録のラッパ吹き」のことでしょう。英語版Wikipediaに
The song is apocalyptic, taking much of its imagery from the Book of Revelation
⇒When the Saints Go Marching In - Wikipedia
と書いてある。
キリスト教では、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという。
つまり、「審判の日」に地獄の業火に焼かれる側ではなく、神に祝福される側にいたい。という意味でしょう。なおよく知られてる話だと思うけどキリスト教では火葬を忌避する傾向がある(現在では忌避感は薄れてきつつあるらしいが)。肉体が無いと審判の日に蘇ることができないと考えられているから。
というわけで「聖者」とは何かといえば、審判の日に神に選ばれた者という意味で、その行列に加わりたいって意味ではないかと思う。
で、歌詞だけ見れば、特に黒人差別が背景にあるとは思わないけれども、差別される今の苦しい世が終わって「新世界」が到来することを待望するということはあるだろうとは思う。
※ なお「聖者が街にやってくる」は誤訳というより「Marching In」を日本人が聞くと「街(町)に」に聞こえるから、それに合わせたってだけで、特別な意味は無いと思われ。
※ ところで「セカンド・ライン」について。
ニューオーリンズの典型的なジャズ・フューネラルでは、重々しい葬送歌や賛美歌を演奏するブラス・バンドと共に、故人の遺族や友人、関係者が葬儀場から墓地まで棺を運んでパレードする。埋葬を終えた後の帰路のパレードでは、ブラス・バンドは賑やかで活気のある曲を演奏する。多くの場合、スウィング感のある賛美歌やスピリチュアルな曲から始まり、パレードが進むにつれ、ポピュラーでホットな曲へと移り、盛り上がって行く。墓場までの重々しい演奏が故人を悼むためのものであるのに対し、帰路の演奏の明るさには、魂が解放されて天国へ行くことを祝う意味が込められているとされる。
⇒http://:title=セカンド・ライン - Wikipedia
これも黒人差別と結びつけた言説を何件か見たのだが、どうなんだろう?葬式とは本来厳粛であるべきであり、それに反する「セカンド・ライン」は特殊である。特殊なのは事情があるはずだ。その事情とは黒人差別が云々みたいに説明を見かけるけれど、それは特殊なものを認めているのだという立派な態度のように見えなくもないけれど、「葬儀は本来は厳粛であるべきものだ」という実際は普遍的ではない価値観を当然の前提にした上での「同情」のように感じられる。
「アフリカ 葬式 音楽」で検索すると興味深い記事がいろいろある。たとえば、
⇒驚異の棺桶パフォーマンス!ガーナの葬式ではアゲアゲなリズムとダンスで故人を祝福! | Africa Quest.com
ただし当然アフリカにも地域差はあるだろうと思われ。
前にも書いたけど台湾の葬式も賑やか。いや日本だって葬式の食事を(適度に)談笑することがある(地域等によるらしく違和感を持つ人もいて文化摩擦があるっぽい)。