「地獄への道は善意で舗装されている」の本当の意味は?(その4)

アンサイクロペディアに、

しかしながら、この言葉の意味や含蓄を語るにおいて、誰が最初に発言したかなど、どうでもいい話である。

地獄への道は善意で舗装されている - アンサイクロペディア
と書いてある。確かに、この箴言の意味を調べるために、ネットで検索すると、最初に言ったのは誰かという「豆知識」しか書いてないところがいっぱいあって、「そんなことはどうだっていいじゃないか」と言いたくなってくる。


だが、全く無意味かというとそうでもない。というか実はかなり重要な意味を持っていると考えられる。そこに踏み込んで考察しているものがほとんど無いから無駄知識にみえるのだろう。


特に重要なのが「クレルヴォーのベナルドゥス」だ。

私は全然知らなかったのですが、"The road to hell is paved with good intentions."はとても有名な言葉だったようです。で、原典はクレルヴォーのベナルドゥスさんらしいのですが、言葉が少し違っていて、"Hell is full of good intentions or desires."だそうなので「地獄は良い意思か希望で満ちている」という感じでしょうか。でも、これだと、「善意が人を不幸にする」という意味にはならないような。でも、Wikipediaによるとこの人は十字軍の勧誘に大きな役割を果たしたそうなので、とてもこの格言に合っている気がするのですが、どういうシチュエーションで語った言葉なのでしょうか。

「地獄への道は善意で舗装されている」は誰の言葉か(その2) - うつせみ日記 (Utsusemi Nikki)


見ての通り、これは「地獄は良い意思か希望で満ちている」であって、「地獄への道」(The road to hell)ではない。またサミュエル・ジョンソンの言葉だとする説もあるが、こちらも「地獄への道」ではない。


じゃあ、これらは全く関係ないのではないかと考えられそうだが、そうでもなさそうな模様。


というのは、英字版ウィキペディアでの説明で、この箴言のルーツが「クレルヴォーのベナルドゥス」とされているからだ。
The road to hell is paved with good intentions - Wikipedia, the free encyclopedia
しかも、その解釈も「クレルヴォーのベナルドゥス」に則ったものであるように思われる。

The meaning of the phrase is that individuals may do bad things even though they intend the results to be good.

「たとえ彼らが結果がよいことを意図するとしても、個人が悪いことをするかもしれない」


これは今まで考えてきた解釈とはまた別の解釈をしていると思われる。ここでの解釈は俺の理解するところでは、
「たとえ良い結果をもたらすための計画を立てたとしても、人々の希望や欲求によって成功しないかもしれない(計画が挫折するのは明確な悪意が原因だとは限らない)」
ということではないかと思われる。国家のような巨大権力が個々人の希望や欲求を制御するのは困難だという自由主義的思想が背景にあるように思われる。


また、もう一つの解釈として、

good intentions may not result in a good outcome because of inaction due to procrastination, laziness or other subversive vice.

「良い意図が遅延、怠惰または他の破壊的な悪癖のために怠慢のため、良い結果に終わらないかもしれない」とある。これは、良い計画が立てられても、人々はその意図を自身に都合の良いように解釈するという意味であるらしい(自信ないけれど)。思うに、何のためにその計画があるのかを歪曲して理解して、表面的に従うみたいなことじゃないだろうか(たとえば官僚が改革のための法律を都合よく解釈して骨抜きにしてしまうみたいな)。


これはこれで有りなようにも思う。


※なお俺は英語が苦手なのでYahoo!翻訳を使ったのだが、「The road to hell is paved with good intentions」が「意図するところはよくても成功するとは限らない」と翻訳される。これは直訳ではなくて意訳なので、そう登録されているのだろう。