奴隷の鎖自慢について

「奴隷の鎖自慢」原文は多分日本の給与奴隷と関係ないんじゃないかな - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記


愛・蔵太氏調べによると、リロイ・ジョーンズの言葉であるらしいとのこと(決定ではないけれど)。この件については俺も書いたんだけれど、誰の言葉かということは知らなかった。
奴隷は自分を縛る鎖の出来を自慢する - 国家鮟鱇


俺はこの言葉どこで知ったんだろう。随分前のことで、おそらくネットではなくて雑誌かなんかだったと思う。しかし、そもそもリロイ・ジョーンズという人物が初耳なので、多分そこには出典は書いてなかったのだろうと思う。


ところで、俺も気になって調べてみたんだけれど、するとルソーのこんな言葉が。

奴隷は繋がれた鎖によって全てをなくしてしまう。「そこから逃れたい」という欲望さえも。

言霊.in


これも前にどこかで見た覚えがある。(俺の頭の中で)両者がごっちゃになってるかも。


ルソーの格言には他にも、

イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。

言霊.in
とか、

人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている。
自分が他人の主人であると思っているような人間も、実はそれ以上の奴隷である

ルソー格言集
なんてのもある。


さらに、

 国とか法律とかは、こうして集められた人々に安全と物質的な充足を保証しますが、おそらくそれらよりもやさしくはあってもはるかに強い力を持つ学問や文学や芸術が、人々をつないでいる鉄の鎖に花輪をかけて、生まれつき持っているはずの自由に対する気持を封じ込めて、束縛された状態を気に入るようにしていきます。こうしていわゆる文化的な国民が生まれるのです。

 いわば人々の欲求が王座を作り出して、学問や芸術がそれを強固なものにしていると言っていいでしょう。だから、この世の支配者たちは、いわゆる文化人を可愛がるべきです。そして、この文化人を援助している人たちを大切にすることです。また、文化的な国民もまた、文化人を援助すべきです。彼らが自慢にしている高尚な趣味をもてるのも、文化人がいてこそだからです。この高尚な趣味こそは、都会的な洗練さをもったやさしい人間をつくるのであり、人付き合いのうまい愛想のいい人間、つまり、見せかけだけの美徳を備えた人間を作り出すのです。こうして彼らは幸せな奴隷となるのです。

ルソーの『学問芸術論』より(世界の古典つまみ食い)


これは「奴隷の鎖自慢」とかなり似ている。


また、
ルソーのラ・フォンテーヌ寓話批判の誤謬とイソップ寓話
によると、ルソーは『エミール』でラ・フォンテーヌの「オオカミとイヌ」という寓話を批判しているのだけれど、そこに「首にはげた筋のある犬」(つまり、いつもは首輪をされているということ。そして首輪の無いときも逃げないということでもある)が登場する。




※ところで本題と全く関係ないっちゃあ関係ないのだが「ルソー 首輪」で検索すると某有名ライトノベルがやけにヒットする。どうやら登場する飼い犬の名前が「ルソー」であるらしい。


さらに、これも関係ないことではあるけれど、ルソーの死を知ったヴォルテールの書簡というのが、
▼『孤独な散歩者の夢想』ジャン・ジャック=ルソー - Augustrait
で紹介されている。

<ジャン・ジャックは死んだが、けっこうなことです。犬のために殺されたというのはほんとうではないとのことで、同輩の犬にやられた傷はなおったのだが―中略―犬のように死んだということです>
 ――1776年12月24日、ルソーは、突進してきたデンマーク犬に打ち倒され、昏倒して大怪我を負った。「犬にやられた傷」というのは、このときのことを指している。 


(追記)
イソップの寓話には、ラ・フォンテーヌの寓話と似た話があるけれども、それとは別にオオカミの誘いに乗って自由を選んだ犬がオオカミに食べられてしまうという寓話もあるのであった。
きょうのイソップ童話 ライブドアブログ編:3月28日のイソップ童話 オオカミと仲なおりしたイヌ - livedoor Blog(ブログ)


ちなみにイソップは元奴隷だったとされている

一般に伝えられる話では、元はサモスの市民イアドモンの奴隷だったが、語りに長けており、解放されたという。その後は寓話の語り手として各地を巡ることになる。しかし、それを妬まれデルポイの市民に殺されたとされる。

アイソーポス - Wikipedia