ルソーの寓話批判

上の記事でルソーが『エミール』でラ・フォンテーヌの寓話を批判していると書いたけれど、「蟻とキリギリス」の寓話も批判しているそうだ。

ルソーも、蟻の冷酷さに自然に反応する子供たちには有害な寓話である、と言っているそうです。

宇曾保物語


で、ふと思ったのだが、わが国でも福沢諭吉が「桃太郎」を批判している。

「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」

ひびのおしえ - Wikipedia


また芥川龍之介が「桃太郎」の「パロディ」を書いているのも有名。
芥川龍之介 桃太郎青空文庫


これについては、これまた愛・蔵太氏が
「天声人語」の人と芥川龍之介は「桃太郎」について何と言っていたか - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記
という記事を書いている。芥川龍之介が日本の軍国主義を批判したのかどうかはこの際おいといて、日本の代表的な昔話である「桃太郎」を茶化しているように俺には感じられる。


福沢諭吉芥川龍之介のような日本近代を代表する知識人の「桃太郎」に対する態度と、ルソーが寓話を批判したことの間に関係があるのか否かは非常に興味のあるところ。



さて、寓話のパロディといえば俺がまだ少年だった1970年代後半から80年代前半の時代には、漫画やお笑いの世界で昔話のパロディーがかなり流行っていたという記憶がある。また、ネタではなくてオカルト的なものとして、あの昔話は本当はこういう話だったみないなのも流行していた(かぐや姫は宇宙人だったとか浦島太郎の亀はUFOだったとか)。そして、桃太郎の鬼は平和に暮らしていて桃太郎こそが侵略者であるということを真面目に論じているものも良く見た。


最初は面白いと思っていたけれど、数が増えるにつれ、だんだん質が悪化してきて苦しいこじつけのものが増えてきてつまらなくなってきた。つまらなくなってくると、最初は面白いと思っていたものさえ、くだらないものに見えてきた。そして「神話(寓話・伝説を含む)は神話として考えるべきである」という現在も持ち続けている結論に至ることになったのであった。これももしかしたら結局のところルソーの寓話批判と地続きなのかもしれないなあと思う今日この頃。