福沢諭吉は『痩我慢の説』で何と言っているのか(その9)

まだまだ続くぜ。続けようと思えばね。

立國は私なり、公に非ざるなり。

福沢諭吉はなぜこのようなことを書いたのか?


それは、この後で福沢が主張することが絶対的に正しいのではないということを言いたいがためである。絶対ではないのだから相対的にならざるを得ない。ということは複数の正しさがあるということになる。すなわち勝海舟榎本武揚の行動にも理があるということだ。


それを認めた上で、福沢は勝や榎本の「正義」と自己の「正義」のどちらが正統かと二人に問い詰めているのだ。


その際に福沢が拠り所としているのが「歴史」だ。論理の上ではどっちが正しいかなどということに決着はつかない。


だが、歴史を見れば明らかではないか。すなわち俺の言うことの方が正統なのだ。あなた方の正義には歴史がない。それはあなた方にも理解できますよね。だったら何をすべきかもわかりますよね。そうできない事情があるのかもしれないけどね。でも、兎にも角にも、このことを記しておけばきっと後世の役に立つだろう。


福沢の主張はこういうことだ。


福沢諭吉と言えば自由主義者で歴史や伝統なんてクソ食らえって考えていたのだと思っている人もいるかもしれないけれど、そうではない。

伝統主義の哲学は、その種のすべての哲学と同様、選択的なものである。有益な伝統は過去からもたらされなければならないが、それはまたそれ自体として望ましいものでなければならない。
(『保守主義 ― 夢と現実』ロバート・ニスベット 昭和堂

福沢はまさにこれを実践しているのだ。


福沢が伝統を軽視しているように見えたとすれば、エドマンド・バークがそうしたような意味において実行したことを誤解しているのだ。

バーク自身、役に立たなくなった伝統や前例は容赦なく切り捨てた。
『イノベーターの条件』P・F・ドラッカー ダイヤモンド社


福沢は正しい意味での保守主義者であったのだ。先に紹介した『痩我慢の説』の誤解釈は、偶然かもしれないけれど、いわゆる「保守」と呼ばれる人達ばかりだ。ところが、彼等が福沢諭吉を理解できていないのはどうしたことであろうか。


まあ、そんなものだろうとは思うけれど。