さらにあれから「立国は私なり」を検索していると、
⇒福澤諭吉 「痩我慢の説」について(その2): 悠々自適
という記事を見つけた。
江藤淳が『海舟余波』で『痩我慢の説』の批判をしているそうだ。
当初から勝は薩長と対決せず、進んで抵抗を放棄したとでも言いたいのかと懐疑的に問う。
そしてこれに対し、「日夜自分を奮い立たせて、『辛苦経営』、あの継ぎ剥ぎ細工を続けて来ただけだ。その一刻一刻が俺の行蔵だ。貴公のいう『痩我慢の士風』のどこに、俺の『我慢』に匹敵するものがあるのか」「福澤のような単なる批評家に、時局に当らねばならぬ者の行蔵の重苦しさが分ってたまるか」と勝の気持を忖度するように代弁する。
「批評家(ここでは福澤)が調子のよい文章、殊に単なる美文で要約したようなことは断じてしていない」「このことに関する限り福澤は、終始勝よりはよほど幸福な批評家である」とまで福澤を酷評して勝を弁護する。
本来は原典を見てからにすべきだけれど、江藤淳の言いたいことは大体わかる。
俺は霊能者じゃないから福沢諭吉がこの批判にどう答えるかわからないけれど、予想するに福沢はこの批判を否定しないだろう。むしろ「その通りだ」と答えるんじゃないだろうか。ただし、その後に続けてこういうのではなかろうか?「俺は勝海舟じゃないし、勝海舟は俺ではない」と。
福沢諭吉は平等主義者だと言われることがある。だが俺は福沢の平等主義は多くの人が「平等」と聞いて想像するであろう「平等」とは異なっていると思う。すなわち「結果の平等」でも「機会の平等」でもないと思う。
福沢の「平等」とは、たとえば大名の子として生まれたのは、たまたま親が大名であったからであり、農民の子として生まれたのは、たまたま親が農民であったからである。それは天の為せるものである。故に大名であるからといって威張るな、農民であるからといって卑屈になるなって意味の「平等」だと思う。そしてこれは福沢の「独立自尊」という言葉と密接に関わってくるものだろう。
福沢は中津藩士だ。一方、勝海舟は幕臣だ。両者は別個の独立した存在だ。福沢は幕臣じゃないのだから、勝と同じ行動を取る必要は無い。だが幕臣であった勝がどう行動すべきだったかについて論じることはできる。勝は不幸な立場だったかもしれないが、それが自分の身に起きた可能性だってあるのだ。そうならなかったのは「たまたま」だ。
そう福沢諭吉なら考えるんじゃないかと勝手に想像してみる。