国定忠治が地元のヒーローになった理由は?

国定忠治 - Living, Loving, Thinking
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後にも博徒となって上州から信州一帯で活動し、「盗区」として一帯を実質支配する。天保の大飢饉で農民を救済した侠客として脚色された。講談や映画、新国劇などの演劇の題材となる。

国定忠治 - Wikipedia


俺は国定忠治のことよく知らないんだけれど、気になるのは、忠治が地元のヒーローになったいきさつ。


悪人だけれど「窮民救済の義侠の徒」であったので地元の人々に慕われていた。それが講談や映画に取り上げられて全国的に有名になったということなんだろうか?


それとも、講談や映画に取り上げられたので、おらが地元の有名人ということで、元々はそれほどでもなかったのに、地元のヒーローということになったのだろうか?


清水次郎長の場合は、たとえ全国で有名にならなくても、地元ではそれなりに名前の知られた存在として語り継がれることになったんじゃなかろうかと思う。


忠治の方はそこのところが良くわからない。


※こんな記事があった。
虚構の義賊 国定忠治伝 (12)