日蓮の「太陽を射る話」考の続き。
弘法大師空海が祈祷したら夜中に太陽が出現したという。この話は以前から知っていたが、それが俺の中で「日招き伝説」と結びついていなかった。日蓮は『般若心経秘鍵』の逸話を紹介しているけれど、屋島寺の創建伝承も日招き伝説であった。
⇒まなびCAN・子ども教室「屋島親子探検隊」:高松市
これは尋常なことではない。日蓮が批判しているくらいだから、日本では不吉とされていたが仏教では吉だというわけではないだろう。一体なぜ空海に「日招き伝説」があるのだろうか?
本当は不吉な話だということを知らないで、空海の偉大さを表現するために作られたのだろうか?それともいわゆる「誉め殺し」なんだろうか?
おそらくは、そういうことではなくて、弘法大師空海は、単に太陽を呼び戻すと言う法力を持っているだけではなくて、通常なら後にくるはずの不幸をも跳ね返すほどの法力を持っているということを暗示しているのではないだろうか?すなわち、日招きは不幸を招くということをわかった上で作られた伝説なのではなかろうか?
ところで、俺はこの前、日を招いても没落しなかった武将についての考察で、王権との関係で論じた小野地健氏の主張に同意せず、この違いは伝説的人物と実在人物の違いではないかと書いた。
⇒迹見首赤檮(補足その5)
それを踏まえれば、空海もまた実在人物で現実に没落していない。だから日を招いても没落しないのではないか…
と言いたいところだけれど、ちょっと考えが変ってきた。
というのも、日招きをしても没落しない武将とは、具体的には佐々木盛綱、源頼義父子、源義家である。他にも坂上田村麻呂の伝承があるようだけれど、それを除けば全て源氏だ。そして源氏の氏神は八幡神だ。
一方、空海も八幡神と強い関係がある。たとえば東寺の正式名称の一つは「弥勒八幡山総持普賢院」だったりする。
もしかしたら、日を招いても没落しないことと八幡神には関係があるのかもしれない。
※なお慈覚大師円仁が太陽を射る夢を見たというのも尋常な話ではない。こちらも考察してみる必要がある。というか、こういうことって誰か検証してないのだろうか?とても重要なことだと思うんだけれど。