豊臣秀吉の誕生日(その5)

豊臣秀吉の誕生日(その4)の続き。


ところで、藤田達生氏は、

今度は、生母なかが懐に太陽が入って受胎する夢をみて、日吉山王権現の申し子として秀吉を産んだとする創作だった。天文五年の「元日」に生まれたという話も、この説をより効果的に演出するためにつくられたものだ。

藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書

という。


しかし、秀吉が「日吉山王権現の申し子」だと主張したという史料はあるのだろうか?俺は知らない。『天文五年の「元日」に生まれたという話』については秀吉死後の史料しか無いはずだ。果してそれを秀吉が創作したと言い切れるものだろうか?俺はこれだけの根拠では「可能性が無いとはいえない」程度の話のように思える。


おそらく、こんな「陰謀論」は学者の中でも支持する人はあまりいないだろうと思う。


しかし、読者の中にはこれを信じる人も少なからずいるだろう。そして新たな「秀吉神話」が誕生するのであろう。



※もっとも『天文五年の「元日」に生まれたという話』については、「この説をより効果的に演出するためにつくられたものだ」の主語は秀吉ではないのかもしれない。江戸期の人が「演出」したということなのかもしれない。でも普通に読めば主語は「秀吉」ですよね。「日吉山王権現の申し子」については主語が「秀吉」であるのは疑いようがない。