勝利条件

昨日「おおやにき」について書いたけれど、そこにこういうことが書かれている。
武力と日常(1) - おおやにき

つまり同書の焦点は対立、特に武力対立であるところ、対立する両者の勝利条件というのは必ずしも綺麗に表裏になるわけではない。両者とも勝利条件を満たすとか、逆に両者とも失敗する事例も想定できるので、当事者Xが勝利条件を満たせなかった→反対当事者Yの勝利とは言えないでしょうと、そういうこと。これが「前者」とした「「対立」から中世史を読み解くという視覚から種々の戦争についても論じているが、攻めた側の戦略目標が実現されれば勝ち、そうでなければ負けと単純化している部分があり。攻めさせるということもあれば双方とも戦略目標実現に失敗というケースもあるよねえと。」の内容。

ザビエルの目的が「話を聞きに集まってきた人々をキリスト教に入信させること」であったのなら、山口で500人が受洗したというのは確かに勝利だろう。しかしザビエルの目的は日本をキリスト教の国にすることだ。ザビエルが日本にいた約2年の間に入信した日本人の数はいろんな説があるみたいだが、700〜2000人程度であるらしい。


ザビエルは日本での布教に失敗したのだ。というのが大方の共通認識だと思っていたのだが、Togetterへの反応は心底驚いた。


ザビエルは困惑した。いや史料に困惑したとは書いてないかもしれないが困惑したに疑いない。ザビエルはもっと容易に布教が可能だと考えていたのだ。そう考えたのは日本にイスラム教が入ってないという理由だったらしい。


500人が入信しました。だから何なの?って話だ。


布教失敗の原因は様々なことが考えられるが、その中の一つに祖先崇拝が存在するのは間違いのないところだろう。しかし、ザビエルは信者を獲得するために、洗礼を受けていない者が救われるなどといった自身の信念と異なることを言えるはずもなかったのである。


なお、キリスト教といっても、様々な考えがあり、救われないというわけではないという考え方も存在する。ザビエルがそうではなかったということだ。