池田信夫氏の「事実誤認」

池田信夫 blog : ワイマールの教訓 - ライブドアブログ

予想どおり朝日新聞が麻生発言を鬼の首でも取ったように騒いでいるが、また慰安婦騒動の二の舞にならないように、麻生氏の間違いを指摘しておきたい。彼のスピーチはこう始まっている。

僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。

この基本的な認識が間違っている。ナチスは普通の選挙では、一度も議会の2/3をとったことがない。過半数もとれないまま、議会の混乱に乗じて首相に指名されたのだ。

麻生氏の発言要旨を引用しているが、どこにもナチ党が多数の議席をとったなどとは書いていない池田氏が勝手にそう解釈しているだけである。


ナチ党が過半数を取れなかったのは事実だ。だから他の政党の協力を得て首相になったのだ

一方で事態を打開することが出来なかったパーペン内閣はクルト・フォン・シュライヒャーの策動により崩壊し、後継内閣はシュライヒャーが組織した。シュライヒャーはシュトラッサーらナチス左派を取り込もうとしたが失敗した。シュライヒャーに反発したパーペンの協力もあり、ヒンデンブルク大統領の承認を得たヒトラーは国家人民党の協力を取り付けることに成功し1933年1月30日、ついにヒトラー内閣が発足した。

アドルフ・ヒトラー - Wikipedia

1933年1月30日に大統領ヒンデンブルクヒトラーを首相に任命した。この発足直後のヒトラー内閣は、以下の通り国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)と保守派・貴族の連立内閣であった。この頃入閣したナチ党員は首相ヒトラー、内相フリック、無任所相ゲーリングの3人のみであり、副首相フランツ・フォン・パーペンは「われわれは彼を雇ったのさ」「わたしはヒンデンブルクに信頼されている。二ヶ月もしないうちに、ヒトラーは隅っこのほうに追いやられてきいきい泣いているだろう」と語り[1]、内閣の実権を握るつもりでいた。当時の内閣は合議制であり、首相に突出した実権が与えられていたわけではなかった。

ヒトラー内閣 - Wikipedia

きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ

が事実誤認だというのは、それこそ池田氏による麻生発言の「事実誤認」だ。


ナチスに協力した政党の議員に投票したのは国民だ。ナチ党に投票した人だけに責任があるのではない。


最近の例でいえば、民主党は少数政党の国民新党と連立を組んだ。そのため国民新党の政策が採用された。その是非はここでは論評しないが、それが可能になったのは民主党がそれを認めたからであり、その民主党を与党にしたのは国民であり、これは民主主義を逸脱したものではない。「国民新党が多数を握ったから政策を実行することができたのだ」。これは国民新党議席数が少ないということと矛盾することではない。