hazama-hazama-hazama氏への回答(その2)

あなたは

1つ付け加えますと、ナチスが民主主義的手続きを経たことを強調すると、麻生の立論からすると喧噪なく改憲が行われたという解釈になるはずです。手口をみならえ、とはこれを言っているとも解釈可能です。

と書きました。「喧噪の中で民主主義的に改憲される」可能性が排除されています。「麻生の立論からすると」といいますが、それはあなたの考える「麻生の立論」であって、俺の考える「麻生の立論」とは全然違います。


あなたはあなたの考える「麻生の立論」によって

それは、僕がそう考えているというのではなく、一般論を言っているのでもなく、あくまで麻生テキストからはそう読み取れるということです。

つまり、麻生氏は「民主的に喧噪なく改憲が行なわれた」という(誤った)歴史認識を有しており、その手口をみならって日本も改憲しようと言っているということでしょうか?


しかし、麻生氏は「誰も気づかないで変わった」と言っていますよね。どうやって誰も気づかないで改憲することが可能なのでしょうか?


改憲には国会の審議が必要であり、また国民投票が必要なのは言うまでもありません。それをどうやって誰も気づかないでやれるというのでしょうか?麻生氏はそのことも知らないほど無知なんでしょうか?


「静かに」「落ち着いて」とは誰も気づかないようにという意味でないことは明白です。

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、 偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

「喧々諤々やりあった」けれども「怒鳴りあいもなく」議論した。麻生氏が言う「静かに」とはこいういうことでしょう。静かに議論したことによって『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けたとも言っている。つまり「気づいた」ということですよね。


ここではそういうことをいっているのに、それとは全く違った話をする。それは全くそういう可能性がないとは言い切れないけれど、普通に考えたら同じことを言っていると考えるべきであり、そうではないとするのならよほど説得力のある説明が必要でしょう。


よって「気づかない」とは、喧噪がないから気づかないのではなく、喧噪の中だから気づかないという意味であると解釈できます。


なお、麻生氏自身が

喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例

と弁明してますね。もちろん騒ぎになったから言い訳していると考えることも可能ですけれど、発言内容をみてもそういうことを言っていると解釈することは十分可能なのであり、これが真意だと考えて間違いないでしょう。