平景清と雨乞い

雨乞いの痕跡 - Living, Loving, Thinking
経由
落書きと思っていたら、江戸時代の雨乞い記録 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 国の天然記念物に指定されている山口県美祢市の鍾乳洞「景清洞(かげきよどう)」に、江戸時代の雨乞いとみられる記録が残されているのを、同市の元高校教諭蔵本隆博さん(64)が見つけた。

 研究成果を県内の地方史研究誌で発表した蔵本さんは「水が湧き出る洞内が雨乞いの地となった可能性を示す貴重な資料」と話している。

 景清洞は、1962年に観光施設として開発されるまで、大量の土砂があり、途中から腹ばいで進むほど狭く、足元が見えないほど暗かった。蔵本さんは「雨乞いは水が湧き出る場所で行われたため、景清洞が雨乞いの地となった可能性がある。たいまつを頼りに狭くて暗い鍾乳洞に入るほど水不足が深刻だったのだろう」と推測する。


少し調べて見た。

●概要:景清穴は、秋吉台東北端の猪出台西南麓にあって、洞の道はほぼ北の方に伸び三角田洞と末の洞といずれも洞内で連絡しており、干天で水の少ないときには景清穴から入って三角田洞にぬけることもできる。

景清穴 | 交流拠点都市 美祢市

景清洞の構造がよくわからないのだが、上で「狭くて」とあるのが干天のときには普段は水があるところを容易に通行できるようになるということだろうか?それともそれとこれとは関係がないのだろうか?


秋芳洞には「寿円禅師伝説」という雨乞いの伝説があるそうだ。
寿円禅師伝説|秋吉台・秋芳洞観光サイト
これと景清洞の雨乞いが何か関係あるのかはわからない。


しかし、もっとも注目すべきは景清片目伝説ではないかと思う。

壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武将平景清がこの洞窟に潜んでいたという伝説があるためこの名がある。洞内には、景清が戦いで負傷した目を洗って治したと伝わる生目八幡や、景清の緞帳・景清明神・兜かけなど景清にちなんだ鍾乳石を多く見ることができる。

景清洞 - Wikipedia


片目(一つ目)といえば一目連

一目連(いちもくれん、ひとつめのむらじ)は多度大社(三重県桑名市多度町)別宮の一目連神社の祭神の天目一箇神と同一視されるが、本来は片目が潰れてしまった龍神であり、習合し同一視されるようになったという。

一目連は天候(風)を司る神とされ、江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行なわれた。柳田國男は伊勢湾を航行する船乗りが多度山の様子から天候の変化を予測したことから生まれた信仰と考察している[1]が、養老山地の南端に位置する多度山は伊勢湾北部周辺の山としてはもっとも伊勢湾から近く、山にかかる霧などの様子から天候の変化の予測に適した山だったのであろう。

天目一箇神 - Wikipedia


「一目連は天候(風)を司る神とされ、江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行なわれた」とある。


このへんと関係があるのではなかろうか?