と、ここまで書いてきて何だが、実のところ、遠山美都男氏の『天智天皇』を読んでいないので、俺の考えと歴史学者の考えが、どのくらい一致しているのか少し不明なところがある。だから「大筋で」とした。
上で記した解説には「尸解(しかい)」という言葉が出てくる。
仙人は基本的に不老不死だが、自分の死後死体を尸解(しかい)して肉体を消滅させ仙人になる方法がある。これを尸解仙という。羽化昇天(衆人のなか昇天することを白日昇天という)して仙人になる天仙、地仙などがあるが位は尸解仙が一番下である。
ちなみに聖徳太子の件というのは、『日本書紀』の片岡山飢人伝説のことと思われ。
⇒飢人伝説(王寺町ホームページ)
太子が施しをした飢人が死んで、後に墓を調べると遺骸がなく、太子が与えた衣だけが残っていたという話。太子がこの人物が聖人だと見抜いたのは、太子もまた聖人だったから云々。
また、これは指摘されているのか知らないけれど、持統天皇が天武天皇を偲んだ歌。
明日香の 清御原の宮に 天の下 知ろしめしし
やすみしし 我が大君 高光る 日の皇子
いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は
沖つ藻も 靡かふ波に 潮気のみ 香れる国に
味凝 あやにともしき 高光る 日の御子(万2-162)【通釈】明日香の浄御原の宮に、天下をお治めになった、天皇陛下――日の神様の御子であらせられる陛下は、どのようにお思いになってか、伊勢の国の、沖の藻を靡かせる波に揺られ、潮の香りばかりする国においでになったまま、お帰りにならない。無性にお会いしたくてなりません、日の神様の御子に。
この天武天皇が「潮の香りばかりする国においでになったまま、お帰りにならない」というのが、勉強不足で、どこをどう読めばそう解釈できるのかよくわからないんだけれど、先の天智天皇が山科に行ったまま帰ってこないという記事と似ていて気になるところ。
ちなみこの歌については、千田稔氏はこう解釈している。
伊勢の国は持続天皇にとっては非常に羨ましく思われるところで、それは亡くなった天武天皇がいま伊勢の国にいることが羨ましく思われるというわけです。そう見る根拠というのは、天武天皇は亡くなった後、飛鳥南方の大内陵に葬られるわけですが、その後、東に、つまり神仙に近いところへ遷ったのではないかと解釈すると、その神仙の地は伊勢になるわけです。ですから持続天皇にとっては、天武天皇が仙人たちのいる神仙の地へ行かれようとしていることは非常に羨ましいというわけです。そう解釈するとこの歌は非常によく分かるのではないかと思います。この解釈は高橋徹氏によって示唆されたものです。
「アマテラスをめぐって」 『千田稔シンポジウム 伊勢神宮』(人文書院)
つまり、天武天皇も神仙になったということですね。